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美しい本のはなし 古本師匠と漱石全集

堀川理万子

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Illustration 塩川 いづみ

 私には、古本の師匠がいる。その人は、人形操演者という仕事をしている。まだ20代だった頃、NHKの教育テレビの工作番組のアルバイトをしているときに知り合った。それは「つくってあそぼ」という番組。ワクワクさんというお兄さんと、くまのぬいぐるみのゴロリが一緒に工作を楽しむという内容で、「ほーら、こんなのもできたよ」と言って、ワクワクさんが見せる工作物を、私を含む工作スタッフ数人で作っていた。そこで出会ったのがこの古本の師匠だった。師匠は、主にその番組内の「ブラック」というコーナーの操演のために来ていて、コントラストを強めた真っ黒な背景の中で、カラフルな工作物たちを楽しげに動かし、踊らせる。

 私は、元来、気の利いたことができないたちで、テレビの現場にはあまりそぐわない者だった。ただ、唯一、小さい子どもが描いたような絵を描ける、そのことで重宝してもらっていたくらいなことだったので、師匠には現場で、「りま子ちゃんは(師匠は私をそう呼んでいた)、蛍光灯を通り越して、ガス灯だ」といわれた(こんな言い方、今は誰もしないけれど、その場でのことに気づくのに1テンポ遅れる人のことを、かつては「蛍光灯」と呼んだものだ。以前の蛍光灯はつくのに時間がかかったから)。「ガス灯ってどんなともり方するんですか?」と尋ねると、「ゆっくり、ゆっくり、ぼわーっと明るくなっていくんだよ」と。「はぁ、そうですかぁ、まるでガス灯を知ってる時代の人みたいな言葉ですね、へへへ」とやはり私は、気の利かない反応を返すのだった。

 師匠は、歌手の森進一をもっとハンサムにしたような顔立ちで、ちょっとノーブルな感じ。おっとりしていて、なおかつ造形物の操作に関しては、キレのある動きを繰り出す達人だった。

 収録のあいまに、スタジオの隅っこでこのガス灯の話になり、そこからなぜか、古本の話になった。「あれ? 本好きなの? しかも古本が?」と師匠が目を丸くしている。「はい」というと、「そしたら、南部古書会館の古書市行ったことある?」と聞かれた。私は、街の古本屋しかしらなかったから、市のある日にさっそく連れて行ってもらうことにした。東京・JR五反田の駅から徒歩10分ほどのところにあるコンクリートの建物に、ぞくぞくと人が集まってくる。なぜか中年以上の男性客が多い。ピロティにぎっしり並べられた埃っぽい本は、まさに宝の山だ。

 私は、明治から昭和にかけて活躍した鈴木信太郎という画家が好きで、鈴木信太郎のエディトリアルの全仕事を集めるという目標を当時から持っていた(20年以上たった現在も継続中)。ボロボロの文芸書の一冊一冊を丁寧に見て、探す。鈴木信太郎の絵は、ふんわりしたフォルムにほがらかな色彩がほどこされ、「す」というサインが入っているから、すぐにわかる(東京・西荻窪のこけし屋、学芸大学駅近くのマッターホーン、神田志乃多寿司の包装紙の絵、と言ったら、お分かりになる方も多いかと思う)。

 「鈴木信太郎は、『三田文学』の表紙の仕事を多くやっているから、ここらへんよく見てみるといいよ」と、古本師匠は、雑誌の積んである山を示してくれる。そして、あっという間に、その中から一冊、鈴木信太郎の装画の本を見つけてくれた。

 古書会館の2階には、もう少し、高価な本がある。そこもじっくり見ると、すでに2時間ほどが経っている。降りてきてもう一度、1階を見ているときに、師匠が私を呼んだ。「これは掘り出し物だ。」見ると、ひもでくくられている漱石全集だ。全20巻。漱石はもちろん好き。でも全集は持っていない。

 茶色のボール紙の外箱から抜くと、赤い布張りの本が出てくる。白と緑青色の模様が篆書体の漢字になっている。背にあるタイトル「漱石全集」の文字も「染め」。贅沢なつくりだ。見返しは、「ぶどう」と、「人」の模様。紙のざらっとしたこの手触りがまたいい。昭和3年の発行で、検印がある。この装幀のすべて、印紙や検印にいたるまで漱石自身がデザインした『こころ』の初版本の装幀をそのまま全集に流用したとのことだが、漱石のセンスの良さに舌を巻いてしまう。

 値札を見ると、2500円だ。「状態がいい。値段も破格。買っておいた方がいいよ。」師匠が指をさして言う。私は「はい!ぜんぶでその値段なんて信じられないです!」と、喜びつつレジに向かった。それがいまも私の本棚にある漱石全集だ(そのとき、師匠は、私が全然知らない作家の本を数冊買った)。

 漱石全集。苗字をつけずに、作家のファーストネームのみで全集のタイトルになっているのは、鴎外、啄木、白秋そして漱石がただちに思い浮かぶ。苗字がなくても、その人であるというすごさ。とにかく一生、手放さないでおこう、とその時決めた。この全集は、自分用にカスタマイズしてもいい、とも決めた。

 私は、大学でビジュアルデザインを専攻し、その後、画家になったので、アートの観点からも漱石の作品は楽しい。文化欄が好きで日経新聞を購読していた時、『三四郎』に出てくる画家グルーズの記事が出ていた。その記事をいつものスクラップブックに貼ろうとして、ふと、「そうだ、全集の中の『三四郎』に直接貼り込んだらいいじゃないか」と思った。だって、カスタマイズしていいことにしているのだから。美しい美禰子に心を奪われた三四郎が、グルーズの女性の絵を見て、美禰子を思い出す。グルーズは18世紀に活躍した画家で、彼の描く女性像はどれも案外俗っぽい絵だが、そこがまた生々しくていい。美禰子ってこんな感じかぁ、とイメージのよすがになる。漱石は、ロンドンの留学中にラファエロ前派のロセッティと交流があったようで(同時代人なのか、と驚く)、ラファエロ前派の絵もたびたび小説に現れる。

 漱石は、絵画やグラフィックデザインにもとても詳しくて、小説の中にそういう記述が多い。2013年には、上野の東京藝術大学大学美術館で「夏目漱石の美術世界」という、漱石作品と美術の関わりをテーマにした展覧会が開かれたほどだ(いい展覧会だった)。

 全集のうちのどれかを棚から引き抜き、陽が当たる部屋で読んでいると、活版印刷のわずかなでこぼこがくっきり見えて美しい。酸化が進んでいるのか、各ページは少し、パリパリした感触。文字を読み、物語を味わいつつ、活版印刷も同時に愛でるという至福の時間。このページの上で、坊っちゃんが、機嫌を損ねたり、三四郎がどぎまぎしたり、宗介がおよねと語らったり、それらを味わううちに時が流れる。この全集のおかげで、漱石の残したたくさんの俳句も手紙も読める。繰り返し読めばまた味わいが違う(でも全部はまだ読めていない)。

 本棚の一段を広々と占めるこの全集の並んでいるのを見るだに、49年という人生の中でこれだけの質と量の作品を作り出せる人がいたということ、その作品が100年以上たった今でも色褪せていないこと、それらが特別に染めた布で装幀されているということ、そんなことが思われ、深々とした幸せと感謝が味わえる日々である。

取り上げられた書籍

  • 『若い人』石坂洋次郎(改造社 1938年)装幀 鈴木信太郎 / 印刷 植田庄助 / 製本 不明
  • 「三田文学」12月号(三田文学会 1938年) 装幀 鈴木信太郎 / 印刷 常磐印刷株式会社 / 製本 不明
  • 『漱石全集』夏目漱石(岩波書店 1928年)装幀 夏目漱石 / 印刷 凸版印刷株式会社分工場 / 製本 不明

堀川理万子(ほりかわ りまこ)

1965年、東京都生まれ。画家、絵本作家。 2021年、絵本『海のアトリエ』で第31回Bunkamuraドゥマゴ文学賞、第53回講談社絵本賞、第71回小学館児童出版文化賞受賞。絵画作品による個展を毎年開催しながら、絵本作家としても活躍。絵本に『ぼくのシチュー、ままのシチュー』、『おへやだいぼうけん』、『おひなさまの平安生活えほん』、『権大納言とおどるきのこ』など多数。

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