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色彩間諸々~となりの民俗学 どこにでもある
どこでもない場所の魅力

黒川晝車

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Illustration 飯田研人

今回のテーマ:『軒端』
なんでもなさそうな軒端(のきば)には、五百年近くの歴史が隠れている。

 手ぶらで道を歩いているとしよう。 

 さっと空がかき曇って、大粒の雨が降ってきた。荒天の支度なんてひとつもしていなくて、あわや大惨事。困ったあなたは目についた場所で雨宿りをする。埃っぽいアスファルトからたちのぼってくるペトリコールでちょっとした情趣にひたりながら、いつやむだろうかとおもむろに顔を上げる。 

 果たして、視線の先にパンパンに膨らんだ干からびたハリセンボンが吊るされていても驚くことなかれ。それはあなたを退けるためのものではないから。 

報酬は柿の皮 

 軒先、軒天、軒下。総じて軒端(のきば)と、ひとまとまりで呼ばれる空間はこの国において今日まで、様々な役割を果たしてきた。 
 観葉植物を繁らせて美しく彩る家の顔として。 
 家の中にまで持ち込むまでもない用事を済ます簡便な社交の場として。 
 完全に屋外に置くのは忍びないが、屋内に仕舞うには及ばない品々の管理場所として。 

 こういった利用は一軒家でこそ顕著だけれど、規模の大きい古い団地などに足を運んでみると似たような利用のされ方がうかがえて楽しい。共用部を占有している、というコトの善し悪しはともかくとして小さな靴がたくさん並んでいたり、濡れた傘が壁にもたれていたり、青いプラスチックの鉢で朝顔がひっそり花綻ばせていたりすると「人、生きているなあ」という妙な感慨がある。話し声が聞こえて振り返ってみると、転落防止柵に頬杖ついて会話をしている方々もいたりして。ひとりじめして思いのままにできる自由さこそない、けれどそこにはそのために、押し拡げられた無限の軒端があるような気がしてくる。 

 さて「干し柿」と言ってみればぱっとその光景に想像がつくように、軒端というのは食物を加工するための場所としての役割も持っている。同じ干しものでも、だいたいのコンビニエンスストアで買うことができる干し芋に対して干し柿はこのところ不遇を託(かこ)っているけれど、まだまだ健在だ。今でも都市からほんの少し抜け出てみれば、軒先でビニール紐でもってくくられた数珠のような柿たちを見ることができる。 

 ところで砂糖が広く安価に流通するようになる以前のこの国で、柿という果樹が庶民の甘味需要を一手に担っていたことを多くの方は忘れているか、ご存じないんじゃないだろうか。「とても甘くて美味しいイチゴやメロンが野菜なのに、そこまで甘くない柿はフルーツなの? 釈然としない!」という見方が世論を占めているであろうことは、想像に難くない。現代ではそんな感じの柿の甘味需要だが、ひと昔前では様子が異なる。例えば今では小豆に砂糖をふんだんに用いて作るお汁粉は、かつては柿の皮の粉でもって味付けされて、ようやく甘い食べものとして親しまれていたのだ。干し柿づくりが盛んなことで有名だった長野県下伊那郡天竜村では、干し柿の下処理のために人を雇って柿の皮剥きを依頼していた。この柿の皮剥きに従事した人々への報酬が何だったかと言うと「剥いた柿の皮」だったそうだ。これは労働者をぞんざいに扱っている、というわけではない。あくまでそれだけ柿の皮需要が高かった、ということなのだ。 

大根畑は危険がいっぱい 

 この干し柿を代表して、食材を長期保存や食用に適した状態にするために軒端へ吊るして干すことを「掛け干し」という。 

 現代的な生活でもしばしば食事の付け合わせとして提供されたり、酒の肴にすることもある沢庵漬け。この漬け物が伝統的な製法の場合、その工程で掛け干しを必要とすることはみなさんもご存じのことだろう。普段から食事のおかずのひとつとして親しまれ、米の凶作の際には人々の心強い味方として食卓を支えてきた大根は柿と並んで、掛け干しされる食材の代表格とも言える。黒褐色の板壁を背景にずらっと並べられる白い大根たちは、干されているにもかかわらずその景色にたしかな瑞々しさを与える。 

 そんな大根だが、面白い俗信がある。それは「大根の首が土からぬけ出す音を聞くと死ぬ」というもの。二重に滅茶苦茶で、めっぽう僕はこの俗信が好きだ。ひとつに「大根の首が土からぬけ出す音」というのがまずわからない。大根が押し上げた土がばらばらと崩れる音を聞いてはいけないのだろうか。それとも、急激な成長期を迎えた青年が寝ながらにして聞くことがある、と噂されている骨が伸びる音のように、大根も音をたてて伸びるのだろうか。そして、なぜそれを聞くと命を落としてしまうのだろうか。これもわからない。俗信はこういうわからないこと尽くしなのがたまらない。実際のところは大根が育っていくのに大切な時季に、やんちゃのさかりの子どもたちへ畑に立ち入ってはならない、と禁足を言い渡したのがはじまりだろう。けれども、それにしたってもう少しマシな言い方があったのではないかとも思う。似たような言い伝えに「旧暦十月の最初の亥の日(亥の子の日)に大根畑に入ってはならず、入ると死ぬ」というのがある。こちらではその理由を「亥の子の日は神様が大根の数を数えていて、大根のカウントアップの際に畑に居ると大根としてカウントされてしまうから」とされている。大根としてカウントされることと死亡することとの間にはけっこうな距離があるように思うけれど、「いまから大根として生きろ」と言われると気が遠くなるのでまだこちらの説明の方が納得できる。 

 ちなみにこの、特定の時期にある場所にいると神様に人間以外のものとして数えられてしまって酷い目に遭う、という俗信はしばしば山の神について言われるものでもある。だいたい年始め1月のうちの特定の日が「山の神の日」となっていて、この日に山に入ると樹木としてカウントされてしまうというものだ。そうなると山から出られなくなったり、出られてもその年のうちに死んでしまうんだとか。形式は完全に大根畑と一致しているうえに事例としての採取数も大根バージョンよりずっと多く、直感的にもこちらの説明の方がどうも納得感がある。山々を掌握しているのは山の神だが、大根畑を掌握しているのは農家ではないようだ。偉ぶらず、たいへん奥ゆかしい。 

軒の下のハリセンボン 

 掛け干しスペースとしてお役立ちな軒端だが実は現実的な生活利用以外にも、民間信仰が展開される舞台として大いに注目できる場所でもあるのだ。 

 そこで登場するのがハリセンボンである。 

 ハリセンボンとは言わずもがな、フグの仲間のあの魚。普段は餌としている甲殻類や貝類を嚙み砕く鋭利な前歯がチャームポイントだが、ひとたび防御態勢をとらせると元のかたちからは想像できないぷんぷくりんなシルエットに膨れ上がる水族館のアイドルのあいつである。 

 実は鳥取県や新潟県、兵庫県など多くの日本海側の地域で広く知られていることとして「12月8日になるとハリセンボンが浜に吹き寄せられる」という言い伝えがある。特に隠岐諸島の西側ではハリセンボンを四十河豚(しじゅうふぐ)と呼んで、12月8日以外には見つけることができないフグだとして、わざわざこの日は朝から浜に拾いに出かけたのだそうだ。実際、冬になるとハリセンボンたちは暖かい対馬海流にのって、日本海側に流れ込んでくるらしい。遊泳能力が低い彼らは海流に乗せられて波に巻き込まれて、浜に打ち上げられるのだ。こういうのを死滅回遊という。不憫である。しかしなんだってそんなフグをわざわざ拾いにまで ― という話だが、この言い伝えの広がっている地域のいくつかではこの言説にしたがってあることをする。それは、浜でハリセンボンを拾ってきて、紐でもって尾ひれを縛って玄関の軒先に吊るすこと。言うまでもないがこれは「わーい珍しいお魚獲ったぞー!」という自慢のためにするものではない。ハンティングトロフィーとしてこれほど滑稽なものもない。例えば、新潟県に含まれる佐渡島ではハリセンボンについてこんな習俗が報告されている。「師走の八日に濱に寄るといい、この日はこれを拾つて來て惡魔除けにするという者もある」(『綜合日本民俗語彙』)。また兵庫県ではより具体的なことが言われていて、拾ってきたハリセンボンの尾を糸でくくって門口に吊り下げ、魔除け・流行り病除けのおまじないにするのだそうだ。そう、干からびたハリセンボンは魔除けになるのである。いったいどのようないわれなのだろうか。これを考えるために知っておきたいのは、「事八日」(コトヨウカ)という行事である。 

 事八日は全国的にみられる行事のひとつであり、2月8日あるいは12月8日、またはその両日に行われるものだ。一年という時間の要所要所で行われる行事を年中行事と言うが、そのはじまりとおわりをそれぞれコトハジメ、コトオサメと呼ぶことがあり、2月8日と12月8日がそれぞれハジメとオサメに該当する(面倒なことに東京など関東の一部ではこれを逆に言うそうである)。 

 この日は神、または妖怪が人々の生活圏に訪れるとされていて、その日その夜は家から出ないことが推奨されていた。特に東日本では流行り病を拡げる疫病神が来訪するのだとする伝承が根強く、恐れられていたようだ。この神や妖怪の姿かたちは、地域によってバリエーションが豊富である。例えば、栃木県では「大眼」(ダイナマコ)という一ツ目の神が来るとされていた。また福島県では昔話の登場人物としても知られる、狼と協力して人々を襲っていた老婆「弥三郎婆」(ヤサブロウババア)が現れると信じられていた。千葉県や神奈川県にいたっては「ミカリ婆」というお婆さんと「一つ目小僧」がセットになってやって来るのだという。豪華な組み合わせでちょっとわくわくしてくる。 

 当然ながら人々はこうした妖怪、疫病神を喜んで出迎えたわけではない。外から来訪してくる神さまに対してこれにおもてなしをして、いい気分にさせてお帰りいただこうという接待に振り切った行事も日本には多く存在しているけれど、事八日については「あっち行け! お断りだよ!」というのが共通の姿勢だった。魔を退けるため、人々は家の軒端に色々なものを吊るしたり掲げたりした。その代表が「籠」(カゴ)である。特に目を粗く編んだ「目籠」と呼ばれるものが好んで利用されていた。なぜ籠なのか、それも目が粗いものが選ばれたのかはいろいろと説がある。どこで聞いたか覚えていないが、ちまたでよく聞かれるのは「妖怪は目がたくさんあると気になって数えてしまうから、数えているうちに時間が経って力が弱まってしまう」だとか「大きな目がたくさんあると自分より強いやつがいると思って怖がっていなくなるのだ」という説明だ。「目籠は善い神を招き入れるための目印であって、来訪した神さまは目籠に宿ってくれるので、それによって悪いものが退けられるのだ」という説もある。こちらは前回紹介した柳田国男と同じくらい有名な折口信夫という民俗学者をはじめとして、一部の民俗学者が支持している解釈だ。現在でもこの目籠の役割については議論が分かれるところであり、その由来についてははっきりとした結論が出ていない。僕個人としては、初めは目籠がどういう意味を持っていたのかというより、今の人がどういった認識で目籠を吊るしているのか、ということの方が興味がある。もしこれを読んでいる方で、今でも事八日を行っている方がいたら、ぜひ上の世代から聞いた解釈や、ご自身の解釈を聞かせてほしい。 

 さてこの事八日だが、目籠以外にも色々なものを吊るしたり掲げたりすることが知られている。それは串刺しにした団子だったり、茎でまとめて束にするか袋に詰めたりしたニンニクだったり、節分にも活躍するトゲトゲとしたあのヒイラギの葉っぱだったり ― トゲトゲと言えばそう、ハリセンボンである。 

 節分で用いられる飾り物に「柊鰯」または「ヤキカガシ」というのがある。焼いたイワシの頭とそれに添えられた鋭利な棘を持つヒイラギの葉っぱが特徴の飾り物だ。イワシは生臭さで鬼を退け、ヒイラギは物理的に鬼を牽制するという。もうお気づきだろう。なんとハリセンボン、ただ一匹でこの両方の仕事をこなせるのだ。浜に打ち上げられ干からびたその身体は生臭さを放ち、体表から突き出た千本とも喩えられる無数の針は風に揺られながら軒先で魔を迎え撃つ。彼は魔除け界に燦然と輝くハイブリッドアイテムなのである。そりゃあみんなで拾いに出かけるというものだ。 

 福井県の一部地域にも、12月8日にまつわるハリセンボンの言い伝えがある。そこではこの日にハリセンボンが浜辺に寄って来る理由として「山に行くためだ」という解釈がなされていたそうだ。ハリセンボンは山などに入って、何を目指すつもりなのだろう。栗にでもなるつもりなのか。 

 なんて茶化してはみたけれど、この件は意外と大きな可能性をはらんでいるかもしれないと僕は思っている。というのも、日本における民間信仰ではしばしば「神が季節によってその居場所を移動して、神としての役割まで変える」という事例が確認されているのだ。今回は詳しく解説しないけれど例えば山の神と田の神はそもそも同一の存在であって、春秋で山から田んぼへとその居場所を変えて同時に神としての役割も入れ替えている、という伝承があったりする。この春秋交代説を踏まえて福井県の事例を改めてみてみよう。すると12月の山に行こうとしていた無謀極まりないハリセンボンが途端に神々しく見えてくる。ハリセンボンが象徴する海の神は、山に入ることで別な神になる ― そんな信仰が日本海側には存在したのかもしれない。水族館に行けばアイドルになり、干からびたら魔除けになり、山に登れば神にもなれる。ハリセンボン、おそるべし。 

黒川晝車(くろかわ ひるま)

1997年生まれ。愛知県生まれ千葉県育ち。筑波大学比較文化学類卒。専攻は日本民俗学。Youtube/Podcast番組「ゆる民俗学ラジオ」「ゆる音楽学ラジオ」でパーソナリティをしながら、㈱pedanticの経営する「ゆる学徒カフェ」にて雇われ店長として勤務中。大きな草原が大好きなのでモンゴル及び中央アジアにも関心が強く、隙を見ては渡航を企てている。

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