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美しい本のはなし 眠剤としての料理本

堀川理万子

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Illustration 塩川 いづみ

 眠れない夜がある。眠れない、眠れない、眠れない‥‥‥。でも、ふと、「そうよ、無理して眠ることはないのよね」と気持ちを切り替えて、本を読む。わたしの仕事は絵や、絵本やイラストレーションをかいたりすることで、もうじき個展をひかえていたり、その他、締め切り仕事もあるけれど、とりあえず、眠れない晩とも適当に付き合おうと決めた。

 睡眠誘発本として、プラトンの『饗宴』や、サルトルの『嘔吐』を挙げる人がいるけれど、私の場合は料理の本がいいようだ。

 第一夜

 本棚から引っ張り出した『ロートレックの料理法』美術公論社。著者は19世紀後半のフランス画家、トゥールーズ=ロートレック。

 キャバレー〈ムーラン・ルージュ〉での派手な夜遊びから派生した絵画やポスターのモチーフが有名で、遊び人画家のイメージがあるけれど、その実、彼は中世の王族の末裔で、料理を味わうことも、そして料理をすることも家族から受け継ぎ、卓越していたという(領主が自ら料理をして楽しむという伝統があるのだそうだ)。しかも、彼の中で料理と芸術は結びついていて、そのロートレックが著したレシピ集。友人で美食仲間で、パリのグーピル画廊の支配人(ゴッホの弟のテオがオーナーだった画廊の跡を継いだ)、モーリス・ジョワイヤンが編集している。ロートレックのデッサンをそこここに散りばめてある宝箱のような一冊であり、また、これを読んでいると、ロートレックの生きた風景がレシピの中に立ち上がってくる。

例えば、

 [若鶏の身を柔らかくするには]―――若鶏をすぐに食べられるようにするには、鳥屋(とや)から出し、広い野原で追いかけまわし、走っているところをごく小さな弾丸を装填した銃で撃ち殺すとよい‥‥‥

 若鶏が、生き生きした動物としての鳥であるところから語られる。それを撃ち殺す道具(銃)でさえ、料理の道具だということの新鮮さ。銃を手に取り、野に出かけてゆくロートレックの姿を想像してみる。

次は、羊だ。

 [羊の野外丸焼き]―――縦1.5m横1m深さ1mの穴を掘る。その穴に平らな石を敷き詰め、その上で3時間焚火をして燃えさしを作る。(中略)頑丈で長いカシあるいはブナの枝に、18ヵ月~2歳ぐらいの立派な羊を刺し通す。羊を針金か縄で焼き串にしっかりと結び付け、足は棒にそって伸ばしてくくり、火の上で回しても羊が動かないように固定する‥‥‥

 ここで、料理がまずは大地に穴を掘ることから始まる! スコップが料理道具として活躍するわけだ。これを読むだけでロートレックの出身地、南フランスのアルビの風がわたしの髪を揺らす(行ったことはないけれど)。

 ところどころ、カラーのページが入る。口絵はエドワール・ヴュイヤールの描いたロートレック。料理をするロートレックを描いたものだ。意匠的な構図と固有色を離れた表現。そういえば、ヴュイヤールとロートレックの絵って、共通点がある。友達同士で影響を与え合っていたのか、もしくは、好みが似ているから友達だったのか。

 ロートレック作のメニューのカバーによる扉もいい。レストランでの客たちの様子が自由で大胆な構図と色彩であらわされる。ここに、広告宣伝のための方法だったリトグラフを芸術にまで高めたロートレックの「お茶のこさいさい」ぶりが見てとれる。

 そして、尾籠だ、などと呆れずに、この秀逸なレシピを聞いてほしい。

 [“修道女のおなら”(揚げせんべい)]―――(小麦粉などでペーストを作り、)木しゃもじでペーストを丸めてすくい取り、325℃に熱した揚げ油の中に滑らせるように入れて揚げる。(中略)油をきって、軽く砂糖をまぶして、熱いうちに食べる‥‥‥

 この料理名は、修道女の裾の長いスカートがおならの空気でぱふっと大きくふくらんだイメージなのだろう。ここには、大きくふくらんだスカートを身につけた修道女のデッサンが描かれていたように記憶していたが、もう20年も前に買った本なので、単に記憶違いだった(脳内で描いてしまったらしい)。そういう絵をロートレックの筆致で見たかった、と勝手ながら残念。

 その他、食材がさながら動物図鑑のおもむき(野ウサギ、マルモット、リス、青サギ、ツグミ、じゅずかけ鳩などなど)なことにも驚きつつ、レシピを読むことに没入していると、ふと、いい香りが本から漂ってくる。月桂樹、ウィキョウ、オレンジの皮、コリアンダー、そして肉を焼く香ばしい香り‥‥‥あれ?と思って、本の匂いを嗅ぐ。いや、本からは何の匂いもするわけはない。レシピを読んで想像しているうちに香りがしてくるように感じるのだ。すごーくリラックスしているのを感じる。ちょっと眠いような気がする。

 第二夜

 山田瑞子という金属造形作家の友人がいる。料理好きで、彼女オリジナルの「鶏皮のコンフィ」は絶品。八丁味噌で味付けがしてある。たまさかお裾分けにあずかると、それは安ウィスキーが格上に変身する最高の酒のアテだ。そんな彼女がエルサレム料理の本をすすめてくれた。「エルサレム料理‥‥‥!?」初めて聞くその響きに胸が躍る。

 六本木にある本屋カフェ「文喫」に行った時、棚にあるそのレシピ本を手に取り、「この本いいわよ」と教えてくれた。

 イギリスにレストランを持つユダヤ人、オットレンギというシェフのレシピで、フムス(ひよこ豆で作るペースト)が絶品とのこと。彼女の蔵書とは別の本を持ったら見せ合いっこできていいね、ということで、私はこの本を手に入れた。『NOPI』。

 天・小口・地、3面に金箔。表紙は型押し+箔押し。盛り付けと器によるのか、日頃見慣れている料理写真と違う。素朴さと野趣が混ざり合い、さらにゴージャスな空気感がある。ただ、この本にあるレシピは、家庭でちょっとやってみるという簡易さはなく、レストランで供される料理の本格的なレシピばかりだ。「ドラマを口に入れたい」と語る、著者でありシェフのオットレンギ氏は変わった経歴の持ち主だ。イスラエルで3年間、国の諜報部に勤務し、テルアビブ大学で特別な教育を受け、その後、フランスの料理学校ル・コルドン・ブルーのペストリー部門で勉強するという転身。そして、パレスチナ人シェフをパートナーとしてレストランを開く。エルサレム育ちのユダヤ人とパレスチナ人が一緒に仕事をするという、世界平和のいしずえのような関係ではないか(オットレンギ氏についての情報はウィキペディアによる)。

 この本を眠れない今宵、読んでいる。しかも苦手な英語だ(日本語版はない)。

 [スモークしたラムのカツレツと、茄子のピュレ、ハラペーニョソース。コールラビ(かぶのような野菜?)のピクルス添え]―――コールラビって、食べたことないけれど、美味しそう。スモークしたラムのこうばしい香りがページから漂ってくる。

 [レモン風味の舌ビラメに焦がしバター、海苔と火を通したケイパーソース]―――「海苔とは!」と、材料の自在なチョイスに驚きながら、磯の香りに酸味の効いたバターソースの舌ビラメはさぞうまかろうと思う。

 またいい香りがしてくる(ような気がする)。あぁ、美味しそう、週末作ってみようかな、など思ううちに本がパタンと閉じる。本を持っていた手の力が抜けて、本が閉じてしまったのだ。眠い。今夜はこのまま眠れそう。

 第三夜、第四夜、不眠の夜のための料理本はまだまだあるが、字数が尽きた。

取り上げられた書籍

  • 『ロートレックの料理法』 T・ロートレック著、モーリス・ジョワイヤン編(美術公論社 1989年)
  • 『NOPI』Yotam Ottolenghi, Ramael Scully(Ebury Press 2015年)

堀川理万子(ほりかわ りまこ)

1965年、東京都生まれ。画家、絵本作家。 2021年、絵本『海のアトリエ』で第31回Bunkamuraドゥマゴ文学賞、第53回講談社絵本賞、第71回小学館児童出版文化賞受賞。絵画作品による個展を毎年開催しながら、絵本作家としても活躍。絵本に『ぼくのシチュー、ままのシチュー』、『おへやだいぼうけん』、『おひなさまの平安生活えほん』、『権大納言とおどるきのこ』など多数。

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