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感じる人びと 第3回 耳で「感じる」 音で舞台を演じるひと

二宮敦人

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Illustration もとき理川

舞台音響表現家
百合山真人(ゆりやま まさと)

演劇と自分の人生が繋がった

 僕は一つ疑問を感じていた。

 奥深い世界だが、そこまでこだわったところで、お客さんに伝わるのだろうか。もちろんわかる人にはわかるだろうけれど、わからない人だっているだろう。こだわるのが面倒になったりはしないのか。どうしてそこまでやるのか。

 答えは、百合山さんの経歴を聞くうちにだんだんと浮かび上がってきた。

「僕は大学生になるまで演劇に触れたこともなかったし、音楽にもほとんど興味がなかったんですよ」

「えっ、そうなんですか?」

 仙台で生まれ育った百合山さんは、上京してきた時には2枚しかCDを持っていなかったそうだ。「JUDY AND MARY」と、「the brilliant green」。

「それも友達に勧められたから買っただけのものです。漠然と航空宇宙に憧れて、そういった研究室のある工学部に入りました。でもそこで1年過ごして、なんだかもやもやしてきたんです。このままこんな感じで人生過ごすのかな。周りはみんな車好きばかりで、エンジンの話とかしている。自分もそうして、部品メーカーとかに就職していくのかな‥‥‥と。何か、変えたかったんです。本当に何でも良いから、他の何かをしたかった。で、たまたま写真のサークルに飛び込んだんです」

 浅草神社の三社祭に行って写真を撮ったりと活動するうちに、面白い友人に出会ったそうだ。

「そいつが思う音楽の『名盤百選』を手書きで作ってくれたんですよ。ビートルズとか、オアシスとかも入っているような。それをちょっとずつ聞いているうちに、今までになかったような衝撃、世界の広がりを感じたんですね。あ、こんなものもあるんだ。自分の知っている世界って凄く狭かったんだと」

 のめり込む性格だという百合山さんは、レコード屋でアルバイトも始めた。

「バイト代をもらったらその場で全部、CDやレコードにするんです。中古の買い取り販売もしていたので、お客さんがいいCDを持ってきたら、自分ボックスっていうのを作って給料日までそこに入れといて。その店で聞いてない音楽はないな、ってくらい聞きました。ジャズも聞いたし、クラシック、レゲエ、ワールドミュージック、J-POP、ヒップホップ‥‥‥深いかと言われるとちょっとわからないんですが、このジャンルはこういうところがいいんだな、というのが押さえられるくらいにはなりました。バイト仲間やお客さんにもいろいろと教えてもらって。このビートがめっちゃいいから聞いてみろとか、ここのシャウトがたまらないとか」

 そんな生活を続けつつ、まだまだ「何かやりたい」気分に満ちていた百合山さんは、駅でたまたま見かけた「劇団員募集」のポスターを見て、見学に行ってみた。

「同世代がいて結構居心地が良かったんです。たまたま音響が空いていたので、その仕事をやっていました。やるからには勉強しようと思って、町田の老舗のライブハウスでアルバイトもしました。プロの音響機材に初めて触れて、ケーブルがさーっと綺麗に解けるように八の字巻きをするとかも、そこで学びましたね」

 少しずつ、今の仕事ににじり寄ってはいる。が、まだまだ百合山さんの「何かやりたい」は広がる。

「劇団は結局、主宰者が借金まみれになって潰れちゃったんですけど。照明をやっていたのがプロの人で。相模原の音響、照明、特効‥‥‥特殊効果ですね、それらを全部やってるという方だったんですよ。そこにバイトに行きました。ゴルフ場でバンドのイベントやるとか、英検の会場でスピーカーを仕込むとか、本当に様々で。基礎をかなり叩き込まれましたね。それから、テレビ局で音声も」

「えっ、テレビですか?」

「はい、音にまつわることは何でもやりたいと思っていたんです。テレビはどんなふうにやってるのか知りたくて。片っ端から電話をかけて、日テレの技術面をやっている会社でカメラアシスタントとして使ってもらいました。ブームを持ったり‥‥‥マイクを先っぽにつけたポールですね、それからピンマイクをつけたり。『電波少年』のロケにも行きました。ああそうだ、『ブルーノート』でも働きましたね」

「有名なジャズクラブの」

「そうです、これもたまたま紹介してもらって。たっぷりジャズの生バンドを聞いて、楽しかったですね。うわあって鳥肌が立つような回、いわゆる神回って一年間でも3、4回しかないんですけど、その時は本当に凄かった。マイクが吹っ飛んでも歌ってたり、ベースの弦が切れても弾いている。音は出ていないんですよ? でも、他の何かが鳴っている。確かに鳴ってますよ、と僕は駆け寄って言いたかったくらい。自分がどう生きてきたか、どういう風景を見てきたのかを、それぞれが表現しているんです。独りよがりは一切なくて、人と人との触れ合いで生まれるものがそのまま、音楽になっていた。だから音がなくても鳴る。音を出すだけが音楽じゃないんだ、って感動しました」

 百合山さんは熱っぽい目で語ってから「音響で音が出なかったら、責任問題になっちゃいますけど」と苦笑いして付け加える。

 たくさんの刺激を受け、卒業までに7年間かかった学生生活だったが、テレビも、ブルーノートも、働き続ける気にはならなかったそうだ。

「何て言ったらいいかな。収録するとか、手配するという感じで、僕自身の表現じゃなかったんですよ。十分インプットはできたので、自分で何か、こう、アウトプットできるものがないかと」

 そんなある日、縁あって一人の舞台音響家に出会った。

「山本能久さん。演劇の音響を専門にやっているエスイーシステムという会社の代表です。この方が僕に、演劇の素晴らしさや、ボタンを押すだけではない音響のあり方を、長い時間をかけて教えてくれました。先ほどの、演劇作りはものづくり、の方ですね」

 百合山さんはエスイーシステムに入社し、プロの舞台音響家としての道を歩み始める。しかし3年ほど働いた頃、またも新しい出会いが待っていた。

「一緒に公演をやった方が、『オールド・ボーイ』っていう映画を教えてくれたんです。韓国の映画なんですけど、面白くて。これまでのバイトやブルーノートと同じです、世界が広がる感覚がありました。それで、とりあえずNetflixの韓国映画は全部見て」

「全部ですか?」

「はい。で、3ヶ月後には韓国に行ってました。3泊4日を、3、4回くらいは行ったかなあ」

「行動力が凄いですね。何をしに行ったんですか」

「もちろん演劇を見にです。言葉がわからなくても、面白いんですよ。やっぱり台詞は音なので、どういう思いでその声を出しているのかは伝わる。内容が全部はわからなくても、グッとくるんです。チケット売り場(ボックス)で、どれが面白いですかって聞いてたら、『何か変な日本人がいる』となって、日本語がわかる韓国人の方を紹介してくれました。その人にいろいろお世話になって、それで韓国に国費留学もしました」

 ちょっと展開が早すぎる。再び話に置いていかれそうだ。

「当時、働き過ぎのせいか、体がおかしくなってたんですね。蕁麻疹(じんましん)が出たり、喘息(ぜんそく)が出たり。そこで少し休憩を取りたいというのもあって、会社に相談しつつ、文化庁の在外研修制度に申し込んだんです。行った先は韓国の劇団。そこは独特なところで、50人くらいの劇団員が、宿舎に泊まり込んで一緒に暮らすんですよ。雑魚寝(ざこね)して、同じキムチ食べて、泣いて笑って‥‥‥」

「それで韓国の伝統舞踊に詳しかったんですね」

「あ、そうです」

「三味線を習っているのも、関係がありますか?」

「そうですね、海外に行ったことで日本の伝統文化を知りたくなったというのが一つ。それからもう一つは、韓国に行く前にお仕事でお付き合いがあった、舞踊(ぶよう)テープ社という会社さんがありまして。日本舞踊の演奏テープを扱っているところなんですけれど、後継者にならないかと誘われていたんです。それを断ってしまったのがずっと心に引っかかっていて。何か手伝えることがないかと相談しているうち、テープをデジタル音源化して保存しようという話になったんですね。オープンテープなので、このままだと劣化して聞けなくなっちゃうんですよ。ところがこのテープ、曲が切れた時の繋ぎ方は、三味線の専門知識がないとわからないそうなんです」

「それで三味線を習い始めたんですか」

「はい。先ほども言いましたけど、三味線の演奏の仕方が舞台音響にも通じる部分があって、面白いんですよ」

 僕はだんだん、不思議な気分になってきた。

 百合山さんは心の赴くまま、あちこち脇道に逸れているように思える。その一方で、確固たる生き方をずっと続けているようにも思えるのだ。

「ええと、それでどこまで話しましたっけ。そうだ、韓国留学でしたね。そうして劇団で寝食を共にするうちに、ふと気づいたんです。ああ、こういう人と人との繋がり、これこそが演劇なんじゃないかと。何て言ったらいいかな。演劇は僕の世界を広げてくれたけれど、僕と演劇は繋がっていなかった‥‥‥これまでは。それが、ようやく繋がったような。自分が生きている先に、演劇があると気づいたような」

 自分の見ている世界を広げたい、学生の頃からその一心で進んできた百合山さん。写真サークル、劇団、テレビ局、ブルーノート、音響会社、韓国、三味線‥‥‥インプット。そうして吸収してきたものを音響卓の前に座り、出したい音として表現していく‥‥‥アウトプット。

 吸い込んで、吐いての繰り返し。

 この大きな循環が、百合山さんの人生の基本単位なのだろう。一曲の音楽のようにして作られる舞台の、基本単位が呼吸であるように。息を吸っては振りかぶり、叩いて吐く太鼓のように。円を描く叩き方は、二十四節気、そして永遠への願いと繋がっている。

「そこで、考えが少し変わったんです。自分が演劇と繋がったんだから、今度は誰かを何かと繋げていくべきなのかなと。それが‥‥‥舞踊テープをデジタル化して未来の人が聞けるようにするとか。新しい技術を使って、新しい演劇空間を作れないかとか。そういう発想に繋がっていきました、おそらく。自分でもまだちょっと、曖昧(あいまい)ですけども」

 ブルーノートの「神回」では、自分がどう生きてきたかをそれぞれが持ち寄り、その触れ合いを音楽にしていた。演劇ではたくさんの人が関わり、それぞれの考えを出し合って、一つの表現を目指していく。結局人とは、うまく人と関わり合いながら生命のリズムを刻めれば幸せな生き物なのかしれない。その手段が、たまたま百合山さんの場合は音だったというだけ。

 こうして僕と話していることすら「一つの音楽じゃないかと思ってる」と言っていた。そんな百合山さんは人と人とが出会えば、そこから共通の何かをすくい上げられると信じているし、すくい上げたいと願っているのだ。「どんなにひどい脚本でも、一つくらいは接点が見つかる」と信じているように。

「そうしてやりたいことができたので、フリーランスになったんです。急に会社を辞めるわけにはいかなかったので、2年ほど働いてからですけど。それがちょうど2年前くらい。いろんな方に助けられて、何とかやれています。音響との向き合い方も、昔のようにエゴを押し付けているわけではないけれど、誰かの言いなりになっているわけでもないという、いいバランスでやれています」

 これまでの全ては、生き方を百合山さんなりに探した道のり。そして演劇が引き込んだのか、百合山さんが見つけ出したのか、ともかく二つはちょうど良く重なったのだ。

「今は、この仕事やめたいとかそういう感覚はないんですよ。演劇と自分が繋がってるんで。『仕事を辞めたいときはありますか』って聞かれるのは、『生きるのを辞めたいときありますか』に近いですね。大変な時もあるし、楽しい時もあるけれど、やっていかないと」

 フリーランスになってからは、仕事にも緩急ができたという。一ヶ月のハードな稽古と本番を終えると、ぽっかりと暇ができる。

「公演が終わったらたいてい、どこかの温泉に行きますね。好きなんですよ。なんかこう‥‥‥いろいろと流れる気もして。そこでこう、ほっと息をつきながら反省したり。よりうまくやるにはどうすればいいか、考えたりしています」

「その後は、何をするんですか」

 百合山さんはニコッと笑った。

「インプットですね。旅行に行ったり、三味線弾いたり。そしてまた、次の公演に向かいます」

 一音の美しさにしっかりと向き合うのは、百合山さんにとってそれが自然なことだから。こうして僕と話すのも、この文章が読者に読まれるのも、その結果生まれるハーモニーなのである。

(第3回 おわり) 

二宮敦人(にのみや あつと)

1985年東京都生まれ。作家。 『最後の医者は桜を見上げて君を想う』『最後の秘境 東京藝大: 天才たちのカオスな日常』等、幅広いジャンルでベストセラーを発表。著書に『!』『世にも美しき数学者たちの日常』『紳士と淑女のコロシアム「競技ダンス」へようこそ』『ある殺人鬼の独白』『さよなら、転生物語』『ぼくらは人間修行中 はんぶん人間、はんぶんおさる。』等がある。

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