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色彩間諸々~となりの民俗学 ノスタルジックで
ロマンチックで
ちょっとヒミツの歌

黒川晝車

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Illustration 飯田研人

今回のテーマ:『鼻歌』
ヒトの恋には歌があり、労働にもまた歌があった

 ひとりの時間があると、思わずしてしまうことがある。
 少しだけ口を開けて、鼻梁を震わすようにして、低い声で不明瞭に歌うこと。つまりは鼻歌だ。

 歩いているとき、勤務先のカフェの開店準備をしているとき、自宅で食器洗いをしているとき。自然にはじまっていつの間にか終わっている、そんな営み。
 この癖はとうぜん、私だけのものではない。鼻歌は街に出て注意深く周囲を眺め、耳をそばだてているとそこかしこで聞くことができる。すれちがう自転車の運転手から気持ちよさそうに、けれど少し控えめに聞こえることだってある。

 この鼻歌について、あなたは深く考えてみたことがあるだろうか。生きるぶんには割とどうでもいいことなので、気に留めたことがある方のほうが少ないだろう。もしかしたら鼻歌とハミングの違いすら、気にしたことがないのでは?

 実は鼻歌とハミングには厳密な違いがあるのだ。日本国語大辞典(精選版)を引いてみよう。
 [ 鼻唄 ]:[名] 鼻にかかった低い声で歌をうたうこと。また、その歌。
 [ハミング]:[名](スル)口を閉じ、声を鼻に抜いて旋律を歌うこと。

 違いを知らなかった方も、この説明を見れば「なるほど」と腑に落ちたに違いない。鼻歌とハミングの大きく異なる点は二点。ひとつは「詩を歌うか、旋律を歌うか」。そしてもうひとつが「口を開いてすることか、口を閉じてすることか」。こう見ると鼻歌は、ふつうに歌を歌うことにかなり近い行為であることがわかる。

 誰しもの生活にちょこっと顔を出しているはずなのになおざりにされている、そんな不憫な鼻歌についてそのはじまりを考えてみた論考に「鼻唄考」というのがある。著者は柳田国男という人だ。
 柳田国男というのは、明治期から昭和期にかけて活躍した民俗学者だ。日本という国においての民俗学を、はじめて学問というかたちにしたその立役者である。さて、この民俗学という学問についてご存じないという人も少なくはないだろう。ここで民俗学について、僕なりの言葉で説明してみる。

 民俗学とは「過去から今日(こんにち)まで我々の生活の中で連綿と営まれてきたあらゆるものごと(伝承)を蒐集し、比較などの方法を通して分析することで自分たちの“今”を理解するための学問」である。

 民俗学って妖怪とか昔話とか、不思議な風習を追っかける学問なんでしょう、という世間一般のイメージがあると思う。これは全く間違っているわけではないけれど、正しくもない。民俗学の対象はとても範囲が広くて、ここからここまでと言うのが困難なほど広い。だから妖怪や昔話、耳馴染みのない風習などというものもそこに含むことはできる。だけれども、民俗学が求めるのは妖怪の存否、昔話の真偽、風習の是非という二元的な結論ではないのだ。むしろ、そういったものごとの背景にあって、分析すればするほど滲み出てくる日本人(延いてはヒトという生き物)の世界観とか、地域と地域のあいだの目には見えない文化的なつながりのありさまとか、社会システムのうつりかわりの軌跡とか ― そういうものが民俗学の目的なのだ。少なくとも僕はそう思っている。

 ただし断っておきたい。僕はこの道の専門家ではない。なので、この民俗学の定義も決して正しくはない。参考までにとどめておくくらいで勘弁して欲しい。
 僕は単に民俗学が好きで、この手のことをあれこれ考えたり語ったりするのが好きなだけの一般人だ。しかし好きが高じて、一昨年から「ゆる民俗学ラジオ」というラジオ番組で黒川晝車(くろかわひるま)という名前でもって活動していたりする。そこからご縁があり、ありがたいことにこのたびこちらのsoyogoさんにて、「色彩間諸々(いろもようちょっとあれこれ)」というタイトルで連載の場をいただけることになった。

 初回なので、この連載の主旨を説明しておこうと思う。本連載は「この記事で読んだことを日常で折に触れて思い返して、生活世界の諸々を再考してみるキッカケとなること」を目的としたものだ。その手段としてみなさんに、生活ととなり合った内容の民俗学の知見を紹介したり、調べものをする過程で閃いた僕の考えや考察を共有してみようと思っている。この目的と手段は端的に言えばsoyogoさんの標語「書を読んで、まちに出よう」そのものだ。そして、民俗学の営みそのものでもある。今日からあなたも民俗学徒だ。

 そんな「色彩間諸々」の初回は、「鼻歌」について。日常で無意識に行っている何気ないふるまいを、いっしょに見つめなおしてみよう。

 ※なお、タイトル「色彩間諸々」は四代目鶴屋南北の作品『法懸松成田利剣』のうちの「色彩間苅豆(いろもようちょっとかりまめ)」から来ておりますが、響きがかわいくてお気に入りだったのでチョイスしただけであり、特に本連載の内容との関係はございません。ご承知おきください。

ノスタルジックな鼻歌

 鼻歌はどんなふうにはじまったのだろう。この疑問に対して、柳田国男は「鼻唄考」のなかでまず、こんなことを言い出している。

「戀歌か勞働歌かは、未來に対しても決して小さな問題では無い。」

 ここの主語、実は鼻歌ではなくて、歌謡。つまり歌うことそのものだ。要するに「歌謡というものがラブソングから始まったのか、仕事に伴う歌として始まったのかはけっこう大事な視点なのだ」という主張である。「鼻唄考」にしては導入が大げさすぎやしないだろうか、と思えもする。けれど最初にハミングとの違いを確認したときにはっきりしたように、そもそも鼻歌は「歌を歌うこと」そのものに限りなく近い行為だった。だとしたら鼻歌について考えようとするなら、「歌謡」そのものに接近することは必要な作業だということらしい。

 こうして広げた風呂敷の結論として柳田は鼻歌を、人が忘れることができなかった前時代の生活の名残である、と説明している。どういうことだろう。彼の著述を整理して、かみ砕いて説明しよう。

 まず柳田は鼻歌について考えるにあたって、先ほど示したように恋歌と労働歌のふたつに着目し、歌謡そのものの発生に想像を膨らませた。結果から言うと柳田はこの疑問に結論することができなかったのだけれど、恋にしても労働にしても生活の一部であってどちらも欠かせないヒトの「仕事」であったとした。そしてそんな「仕事」に、歌謡は必ず寄り添っていたという。

 ピンとこない方も多いと思うので、簡単に例を出しておこう。恋歌のほうはわかりやすい。いわゆる男女の関係において交わされる、睦言や駆け引きの代わりあるいはそれ自体となる歌の贈答のことだ。日本の婚姻形態として「妻問い婚」が行われていた、というのを耳にしたことは無いだろうか。つい最近まで「嫁入り」という言葉が特になんの批判もなく世間で用いられていたことからわかるように、現在「妻問い婚」は一般的ではない。ただ、それほど前ではない時代まで男女の関係は、男性が女性のもとに足しげく通って、歌にして気持ちを告げるのが恋愛の光景だったらしい。

 また日本を含めたアジアの広い範囲で行われる、とても歴史深い習俗である「歌垣」という行事がある。ご存じだろうか。これは春、秋の一定の時期・場所に村中の男女が集まって歌を贈り合い、踊り、飲食を通して自分の伴侶を見つける、というものだ。ここでもやはり、男女関係と歌のつながりが見られる。異性と婚姻関係を結び、繁殖し次代を育てる。そんな生き物としてのヒトのいとなみ ― 柳田の言う「仕事」 ― のかたわらには歌謡があったのだ。

 もうひとつの労働歌。こちらはある種の肉体労働に伴って、主にその場に居合わせる人々みんなで声を合わせて歌われる歌のことである。有名なのはソーラン節や、ディズニー映画「白雪姫」に登場する小人たちの歌だろう。「ハイホーハイホー」言うやつだ。労働歌自体には、いっしょに作業を行っている仲間の安否確認だったり、歌によって作業ペースを同じにすることで作業の効率化を図れたり、声を合わせて歌うことによる連帯感の向上が見られたりと、実益が多い。柳田はこういった労働歌の伴う労働を「歌って働かずには居られな」い「仕事」だとしている。

 繰り返される日々と毎日の欠かせない「仕事」たち。そのそばに必ずあった歌謡という行為。かつての時代はそれらが混然一体となって、また日々、歌として繰り返されることで人々の世界が形作られていた。ヒトの恋には歌があり、明日のための労働にもまた歌があって、それが世界だったのだ。

 しかしどうだろう。社会の現代化に伴って「仕事」と世界は様変わりした。恋はともかく、労働についてははっきりとした変化があった。サラリーマンという労働のかたちが流入し、それによって生まれた秩序が世界になった。今ではすっかり当たり前になった、スーツなどの仕事着を着て職場に行って、決まった就業時間は黙々と仕事をこなすようなそんな世界である。この変化によって引き裂かれた二人がいる。ほかでもない、労働と歌謡だ。労働の現場で声を合わせて行われていた結束の証である歌謡は、その役割を終えたのである。

 しかし柳田は言う。

「一方には、昔の仕事唄の面白さだけは忘れることが出來なかつた。」

 つまり彼の考えではこの労働と歌謡の別れには、単に労働歌の消滅という哀しい結末だけがあったのではないというのだ。それではどんなかたちに落ち着いたのか。それこそが鼻歌だというのである。

 恋や労働という日常やその延長にある世界を構成する欠かせない「仕事」。それとともにあった歌謡は、「仕事」と抱き合わせとなっている必然性こそ失ってしまった。けれども歌謡にあった純粋な「面白い」という強い需要によって、歌を歌うという行為は、ただひとりでおこなう鼻歌というかたちとして人々の生活に残った。これが柳田の鼻歌誕生の考察である。かつての時代の香り懐かしい、快い営みこそが鼻歌だというわけだ。

 正直なところ興味深い一方で、とてもノスタルジックな見解のように思う。これは僕の所感だが「鼻唄考」をはじめとした柳田の著作の多くには「昔はよかったのだろうなあ」という彼自身の懐古主義的な思想があるような気がする。まあ、よしあしはともかくとしておこう。そういった思想抜きに柳田の偉業は成し遂げられなかったのは間違いないのだから。

 さて柳田国男の「鼻唄考」は「民謠覺書」としてほかのいくつかの論考とまとめられているのだが、その中でも本稿はとりわけ、柳田の素の部分が見られておもしろい。書き出しでは「民謡の話を書くと言ったらあまり興味を持ってもらえなさそうなので、ちょっと奇をてらったタイトルで書いてみた」(黒川意訳)などと卑屈なことが書いてある。自分の仕事が一般にあんまり受けない内容であることを理解しているようで、ちょっとすねた感じに思われて微笑ましい。また恋歌についての記述が重厚で、いやに解像度が高い。それもそのはず、柳田は恋多き人物で学生時代の熱っぽい恋愛の逸話でも有名である(ゆる民俗学ラジオの柳田国男回の第二回を参照されたい)。

 最重要の結びの部分では「いろいろあって今回とりあげた問題(歌謡の起源が恋歌にあるか労働歌にあるかという問題)を解説してみようとしていた私の気持ちは消えてしまっている。とりあえず何の話だったかを述べて、後は温めておきたい」(黒川意訳)などとめちゃくちゃに無責任なことを言っている。大学生のやっつけレポートめいていて、どこか肩の力の抜けたおかしみがあるのがいい。もしかしたら、柳田にとって、鼻歌のような心持ちで書いた文章だったのかもしれない。

黒川晝車(くろかわ ひるま)

1997年生まれ。愛知県生まれ千葉県育ち。筑波大学比較文化学類卒。専攻は日本民俗学。Youtube/Podcast番組「ゆる民俗学ラジオ」「ゆる音楽学ラジオ」でパーソナリティをしながら、㈱pedanticの経営する「ゆる学徒カフェ」にて雇われ店長として勤務中。大きな草原が大好きなのでモンゴル及び中央アジアにも関心が強く、隙を見ては渡航を企てている。

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