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感じる人びと 第5回 目で「感じる」 無限の色彩をあやつるひと

二宮敦人

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Illustration もとき理川

色彩設計
梅崎ひろこ(うめざき ひろこ)

間違えたら数千枚を塗り直し!

  さて、大量の色変えも含めて、色が全部決まったとしよう。本当にお疲れ様である。梅崎さんの仕事もひと段落‥‥‥ではない。色を決めるだけではなく、その通りに作品が完成して初めて、任務完了だからだ。

「ところで、アニメの仕組みってご存じですか」

「ちょっとずつ違った絵を描いて、順番に撮影して、一気に見ると絵が動いて見えるんですよね。パラパラマンガのように。絵が多ければ多いほど、よく動いて、なめらかに見える‥‥‥」

「そうです。まず原画といって、節目となる絵を描きます。次に動画といって、原画をうつしつつ、原画と原画の間を繫いで実際の動きとなる絵を描きます。これが少ない作品で3000枚くらい、多いと1万枚を越えます。劇場アニメだと、10万枚とか」

「そんなに!」

 僕は思わず叫んでしまった。

「週に一度、1万枚の絵を30分で消費すると考えると、テレビアニメって贅沢ですね」

「放送の前から制作はしているので、1週間で全部描くわけではないですけどね。内容や予算なんかによっても枚数は変わりますし。ただ、いずれにせよ1人で描いたり塗ったりできる量ではないんです」

 色彩設計の人が決めた色を元に、次は色指定と呼ばれる人が作業する。「ここをこの色で塗ってください」と原画に指示を書き込んでいくのだ。さらにその指示通りに、今度はペインター(仕上げ)と呼ばれる人たちが実際に色を塗っていく。

 こうして手分けして、時には海外の会社に外注しながら、チームで作業を進める。

「そのための色指定表であり、香盤表なんです。これさえ見れば、誰でも間違えずに作業できる、そういうものにしておかないと」

「そうか、もし間違って上がってきたら‥‥‥」

「そうです。数百枚とか数千枚とか、やり直しです!」

 血の気が引きそうだ。

「だから香盤表でも、ちょっと特殊で間違えそうなところは赤字にしておいたり、こういう感じだよ、と参考例をつけたりします。仮にミスがあっても、小直しですむようにあらかじめ手を打っておくんです」

 想像力や、コミュニケーション能力が問われそうだ。

「色指定表も、100種類の色変え分、作るんですか」

「ケースバイケースですね。よく使うパターンなら作ります。脇役キャラクターのちょっとした色変えだけなら、色指定さんに任せたりもします。お任せするのも難しいという場合は、ペイント後に戻してもらって色の調整、確認をしたりします。どこにどれだけ時間を使うか、その都度判断ですね」

「時間にも限りがあると」

「はい。色ってどうしても、前の作業が遅れてしわ寄せが来やすいんですよ。でも、絵を描くのだって、背景を描くのだって大変だから、急(せ)かしたくもありません。だから来る端から作業をして、次の人に渡して、上がってきたらチェックして、と同時進行でさばいていきます。切羽詰まってくると、今日中に撮影さんに渡さないと間に合わない! なんてことも多いです。でも妥協はしたくない、諦めたくはないから。パニックになったらアウトなんで、落ち着いて考えます。冷静に優先順位を決めて、最後まで全力を出し切ります」

 きっと鉄火場のような光景になるのだろう。

 梅崎さんは一つ息を吸って、吐いた。

「そうして無事に終わって、試写会で完成映像を見ると、凄い達成感がありますね」

 何百という人が関わり、何万という色で塗られた、何万枚もの絵。それらの結晶が、一つのアニメ作品なのだ。

 絵の具番号で会話ができた時代

 梅崎さんは子供の頃からアニメが好きだったという。

「姉の影響もあって、いろんなアニメを見ていました。スタッフロールの名前を見て、ああ、やっぱりこの人が関わってた! どうりで色合いが好みだと思った、とか気づくような小学生でした」

 しかし、アニメの道を志したのは、一度社会人になってからだった。

「絵がうまくなかったし、アニメは趣味でいいかなと思っていたんです。せっかく大学にも行かせてもらったので、何か資格を取ってできる仕事をと考えて、幼稚園の先生になりました。でも、1年で辛くなって、やめてしまいました。命を預かるというのが重すぎて、何かあったらどうしようって‥‥‥うまく気持ちが割り切れなかったんです」

 それから梅崎さんは一念発起する。

「1日の大半は仕事なんだから、自分の好きなことを仕事にした方がいいんじゃないかと。ならアニメしかないと、専門学校に行きました。絵が描けない人がアニメに関わるには、どんなやり方があるのかと調べたところ、色の仕事があることがわかって。その頂点が、色彩設計。ならそこを目指してみようと」

 専門学校を卒業し、アニメ会社にペインターとして就職。

「当時はまだセル画だったので、絵の具で塗るんです。初めは、本当に嬉しかったですよ。これが本当にテレビに映るんだ、と。ただ、とにかくお金はなかったですね。会社に所属するといっても出来高制なんですよ。1枚塗って、いくらだったかな、百何十円から200円くらいだったかな。値段もいろいろで、難しい作品や劇場作品は単価が少し高くなったりします。でも、最初は全然塗れないんですよ、1日に10枚くらい」

「それじゃ、1日働いて2000円じゃないですか!」

「だから月に5、6万しかもらえません。だんだん仕事に慣れていっても、しばらくは12万くらいでしたかね‥‥‥でも、楽しかったなあ」

 梅崎さんがアニメ業界に入ってから、20年と少しが過ぎている。その間に、大きな変化もたくさんあった。

「ちょうどセルからデジタルへの転換期を経験しているんです。西暦2000年くらいに、一気に変わっていったので」

「昔のアニメ作りって、徹夜続きというイメージがありますが、どうなんでしょう?」

「昼夜逆転はしてましたね。仕事に入るのがお昼過ぎなんですよ、1時とか2時とか。どうしてかというと、海外の会社に仕上げを発注すると、航空便で夜に戻ってくるんですね。それを受け取ってから朝までにチェックを終わらせるんです。直しもセルだから、デジタルと違って大変で。絵の具を剝がして塗り直したり、上に色を塗り重ねたりと、いろいろな小技を駆使していましたね。チェックにも人手がいるんですよ。1枚1枚、こう、見ていくしかない。撮影もセルを重ねて撮影台に載せて、1コマずつ撮っていくんです。家内制手工業みたいな雰囲気があった気がします」

 その当時は、頭の中に絵の具の番号が全部入っていたそうだ。

「たとえば『あのテーブル、CB80みたいな色だったね』と、絵の具の番号で会話ができたんです。今はもう、デジタルになって番号はなくなっちゃいましたが」

「デジタルへの移行は大変でしたか?」

「あの頃は会社にパソコンが1台しかなくて。記録媒体もMO、光磁気ディスクでした。230メガバイトしか入らないんです。今使ってるこれ、2テラバイトですよ?」

  梅崎さんは、MacBookに繫いでいるポータブルハードディスクを指さして苦笑する。容量だけでも4000倍以上違う。

「データをコピーするのに5時間かかったり。コピー中に途中で止まっちゃったり‥‥‥でも、それはそれで不思議と楽しかった気がします。思い出が美化されているのかもしれませんが」

 業界内で1度の転職を経て、現在はフリーランス。幸い引き合いがあり、仕事は途切れず、今も数年先までスケジュールが埋まっているそうだ。とりあえずの目標は「子供を社会人にするまで頑張りたい」とのこと。

「しんどいこともたくさんありました。お金はないし、人間関係で悩んだり。『色なんて誰でも塗れる』みたいな空気もあったんですよ。だけど、しっかりやっていれば、見ていてくれる人がいる、そういう実感がありますね」

 梅崎さんはどこかひょうひょうとしている。大変だと言いつつもにこにこ笑っている。そのエネルギーはどこから来るのだろう。

「そういえば、爪がお洒落ですね」

 ふと梅崎さんの手元に目が行き、僕は呟いた。カラフルに緑や青で塗り分けられていて、今日の服装にもぴったり合っている。

「私、ネイリストの資格も持ってるんですよ」

「えっ、ご自分でやられてるんですか?」

「どんなふうに塗ろうかと考えるのが楽しくって。どうせならちゃんと資格を目指そうと思って、ネイリスト技能検定の一級まで取っちゃいました」

「本当に、色を塗るのが好きなんですね」

「そうですね、昔から塗り絵が大好きでした。色を次々に変えては塗り絵を遊んでいたのを覚えています。私、色が好きなんですよ、全部の色が好き。黒も白と合わせたら可愛いし、グレーと合わせたらシックになるし、ベージュと合わせてもかっこいいし‥‥‥色って無限の可能性があるんです。そういうの全てが、ほんと楽しい!」

 目を輝かせる梅崎さん。

 アニメが趣味から仕事になっても、セル画がデジタルになっても、結婚して親になっても、彼女の中で変わらないものがある。塗り絵に夢中になっていた頃から、ずっと。

(第5回 おわり)

二宮敦人(にのみや あつと)

1985年東京都生まれ。作家。 『最後の医者は桜を見上げて君を想う』『最後の秘境 東京藝大: 天才たちのカオスな日常』等、幅広いジャンルでベストセラーを発表。著書に『!』『世にも美しき数学者たちの日常』『紳士と淑女のコロシアム「競技ダンス」へようこそ』『ある殺人鬼の独白』『さよなら、転生物語』『ぼくらは人間修行中 はんぶん人間、はんぶんおさる。』等がある。

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