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感じる人びと 第5回 目で「感じる」 無限の色彩をあやつるひと

二宮敦人

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Illustration もとき理川

色彩設計
梅崎ひろこ(うめざき ひろこ)

手掛かりは匂い、音、触り心地

「色彩設計って、色の理論や法則だけじゃないんですね」

「そうですねー、色って結構教えるのが難しくって。彩度と明度のバランスとか、技法とか、合わせ方とか、そういうロジックなら学べますけれど。一定のところからは、センスがいりますね」

「どういうセンスですか。色使いのセンス?」

「感じる力、かな‥‥‥」

 梅崎さんは少し考えてから、意外なことを言い出した。

「最近、ウイルス対策でマスクをつけるようになって、匂いをあまり感じなくなっちゃって。少し、感じ方が鈍っている気がするんですよね」

「匂いが色の仕事に関係するんですか?」

「匂いだけじゃなくて、五感ですね。全部セットになって、自分の中に蓄積されているんですよ。たとえば夕景‥‥‥夕方の情景なんかも、子供の頃に外で遊んでいて、だんだん暗くなってきた時の、あの空気の感じ。どこかの家から漂ってくる、玉ねぎを炒める匂い。蟬の鳴き声に車の音。服に触れた時の質感だったり、動物に触れた時の温度だったり。そういうものを思い出していくと、色が一緒に出てくる」

「じゃあ、いろいろなことを体験するのが大事ですか」

「そうなんです。美術館に行ったり、あちこち旅行したり。ハイブランドのお店に入ってみたりするのも、大事です。買わなくてもいいので、トレンドを感じたり、ショーウィンドウの色の合わせ方を見たり、触れたり、試着したり、撮っても良ければ写真を撮ったり。自分で服がわからないと、他人の服も決められない。バーのカウンターテーブルなんかも、検索すれば写真は出てくるので、そこから同じ色は取れます。でもやっぱり、実際にバーに行って、思い出しながら色を決めた方がリアリティがある。重い木の扉を開けて入ると街の喧騒がふっと消えて、間接照明があって、家具やお酒の匂いがして、氷の音がして、ジャズが流れていて‥‥‥」

「そういうことを全部感じるんですね」

「はい、その上で、見ます!」

 梅崎さんはテーブルに置かれたお茶のペットボトルを摑むと、しげしげと観察し始めた。

「たとえば、これがお酒のグラスだとして。ガラスって透明なので難しくって。薄暗いバーの中で、上からはどう見えるか、横からは、下からは、飲み物が入っている状態ではどうか。向こう側はどう見えるか、お酒の水面に映る景色はどうか。万事、そうやって見るんです」

 僕もそれにならってペットボトルを睨(にら)みつける。

「見ると言っても、何となくパッケージが緑色で、お茶が黄色っぽいくらいしか」

「影も大事ですよ。ほら、このあたり照明の光が反射していますね。ハイライトとして表現するところです。それからここ、道路側の窓の照り返しが映っているんですが、この色味とかも表現したい。お茶は上から見るとちょっと暗いけど、側面は明るく見える。置いてあるテーブルが白い色だからですね」

 すらすらと、梅崎さんは言ってのけた。

 ペットボトルを通して天井の照明や、窓や、テーブルなど、部屋中をいっぺんに捉えている。きっとこのインタビューの雰囲気や匂い、僕の声色や気配まで、彼女の中にインプットされているはずだ。これが色を感じるということなのだろう。

「そういうストックをたくさん自分の中に持っていないと、監督に『こんなイメージにしたい』と言われた時、『はいはい、あの感じですね!』と応じられないんですよ。だから経験、大事なんです」

 梅崎さんが軽やかな仕草でお茶を飲むと、緑色の液体はかすかに揺れ、口の中に消えていった。

99色×100種類の色変え

「色のトーンや方向性を定めて、監督やキャラクターデザイナー、原作者さんがいる場合は原作者さんのOKをもらえたら、基本の色は決定です。次は色指定表を作ります」

「さっきもちょっと見せていただきましたね。これは、設定資料みたいなものですか?」

 梅崎さんが再びMacBookを開く。「ジョゼ私服1」と題されたファイルには、着色済みのジョゼの正面姿と後ろ姿、そして顔のアップが並んでいた。隙間に様々な色の小さな四角形が、無数にちりばめられている。

「どこをどの色で塗るか、この四角を見ればわかるようになっています」

 これが、細かい。

 肌、髪、眉、頰、着ている服、まつ毛、虹彩、瞳孔。さらに口の中、歯、舌、肌を流れる汗まで個別に指定されている。

「肌の色1つに、4つの色が指定してあるのはなぜですか?」

「影の色です。上からハイライト、通常色、1号影、2号影を意味しています」

 ハイライトは光の反射で光っているところ。1号影は影の部分、2号影はもっと濃い影の部分。

「眉の2号影と、まつ毛の色は、どっちも同じ黒にしか見えないんですが」

「そうですねえ、かなり微妙な違いです」

「うわ、爪や歯にまで影の色が決まってる‥‥‥」

 影も含めて数えると、この「ジョゼ私服1」を塗るために、なんと99色も使うことがわかった。

「これを、登場人物の人数分作るわけですか」

「もっとですよ。着ている服が違うシーンもあるし、色変えもありますから」

「色変え?」

 色はずっと同じではない。同じ服を着ていても、夕焼けの下では赤っぽくなるし、暗がりに入れば暗くなる。いわば世界が勝手に色変えしてくれるわけだが、アニメではこれを一つ一つ人の手でやらねばならないのだ。

「時間帯とか、天候によるバリエーションを作る感じですか」

「これも作品によりますけど、『ジョゼと虎と魚たち』では100種類くらいの色変えを作りました。ほとんど、カットごとに変えていく感じですね」

「100‥‥‥」

 啞然としている僕の前で、梅崎さんはExcelファイルを開いた。

「これを見てもらった方がわかりやすいかな。色の香盤表です」

 元は演劇用語で、一種のスケジュール表である。香炉の格子模様に似ていることから、そう呼ばれるようになったそうだ。

「なるほど、場面が違うと色も変わるってことですね」

 表を読んでみる。「カットナンバーC0049~C0044」は「帰り道・川沿い」のシーンで、「4SA」と題された色変えを使う、などと書かれている。

 他にも「駅構内」「商店街夕方」「キッチン夜・電気あり」「地下鉄ホーム」などなど、物語の中に様々なシーンがあるようだ。

「一つ一つ、調整が必要なんです。たとえばこの、駅で2人が向かい合うシーン。恒夫君は奥にいるので暗く、ジョゼは太陽の光が当たっているから明るくしないとならない。でも、あんまり違い過ぎてもやけにジョゼだけ明るい! 向かい合ってる感じがしない! となっちゃう。ただ明暗をつけるだけじゃなく、人間の目から見て自然になるようにしないと」

「じゃあ、暗がりから2人が出たり入ったりしたら‥‥‥」

「出る時入る時、どちらも自然になるように色を調整しますね」

「部屋の中で、明かりが端っこだけにあったら」

「この作品では、光源の意識は特に大切にしていました。どこから光が当たるか、その光は蛍光灯なのか、蠟燭(ろうそく)なのか、太陽なのか。全部色が変わってきますから。それ以外だと、キャラクターの心境によっても微妙に変えています。落ち込んでいるシーンで明る過ぎると、ちょっと変なので。あとは手前と奥とで、少し色を変えたりもしますね。奥行きを出すために。他にも、影の面積とか。広い影を普通に影の色で塗ると、暗すぎるように見えるんです。だから影の大きさによって、微妙に調整しないと」

「考えることがいっぱいだ」

「背景との兼ね合いもあります。ここ、電車に2人で乗っているシーン。恒夫君の体にできている影と、背景の電車にできている影とが、同じくらいの濃さじゃないと、やっぱりおかしいんです」

「背景の色も、梅崎さんが決めているんですか?」

「背景は、背景美術さんという、また別の方が描いています。アニメでは基本的に動かないものや自然物、部屋や建物などが背景美術と考えてください。キャラクターでなくても風にそよぐ木とか、通り過ぎる車とか、動くものは動画(セル)です」

 背景に動画(セル)を重ねたとき、自然な一枚の絵に見えるようにしなくてはならない。

「だから背景に色味を合わせなくてはならないし、逆に背景の方を調整してもらうこともありますね。『もう少し暗い雰囲気にしましょうか』などと相談して」

「あっちこっち、細かい調整の連続なんですね」

「そうしていると、いつの間にか、色変えが100種類くらいになってしまうんですよ」

 あるキャラクターを塗るのに99色。それが人数分、さらに100種類の色変え。あっという間に数万色を使い分けているのだ。あまり使いすぎても大変なので、これでも色を絞っているのだという。

「アニメの色にそんな苦労があったなんて、見ていて全然気づきませんでした」

 僕の溜め息まじりの言葉に、梅崎さんは笑って頷いた。

「いえいえ、それでいいと思ってます。見ている最中に、色が気にならないというのが理想です。それだけ自然な色になっていて、作品世界に入り込む邪魔をしていない、ということですから」

二宮敦人(にのみや あつと)

1985年東京都生まれ。作家。 『最後の医者は桜を見上げて君を想う』『最後の秘境 東京藝大: 天才たちのカオスな日常』等、幅広いジャンルでベストセラーを発表。著書に『!』『世にも美しき数学者たちの日常』『紳士と淑女のコロシアム「競技ダンス」へようこそ』『ある殺人鬼の独白』『さよなら、転生物語』『ぼくらは人間修行中 はんぶん人間、はんぶんおさる。』等がある。

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