川原繁人
1980年生まれ。慶應義塾大学言語文化研究所教授。 カリフォルニア大学言語学科名誉卒業生。 2007年、マサチューセッツ大学にて博士号(言語学)を取得。 ジョージア大学助教授、ラトガース大学助教授を経て帰国。 専門は音声学・音韻論・一般言語学。 『フリースタイル言語学』(大和書房)、『音声学者、娘とことばの不思議に飛び込む』(朝日出版社)等、著書多数。
特別対談
橋爪大三郎(はしづめ だいさぶろう)
1948年生まれ。社会学者。大学院大学至善館教授。東京工業大学名誉教授。東京大学大学院社会学研究科博士課程単位取得退学。 『はじめての構造主義』(講談社現代新書)、『だれが決めたの?社会の不思議』(朝日出版社)、『権力』(岩波書店)、新書大賞2012を受賞した『ふしぎなキリスト教』(社会学者・大澤真幸氏との共著、講談社現代新書)等、著書多数。
本編では「先生」役だった川原ですが、そんな川原が言語学者を目指すきっかけとなった研究者のひとりが、橋爪大三郎先生。社会学者で、言語に関してもいろいろ考察されています。その橋爪先生に「校長先生」になってもらい、授業の報告をかねて、言語や教育について思う存分お話しすることになりました。さて、どうなるでしょう‥‥‥。
川原 橋爪先生にどれだけ影響を受けたか、まずお話ししますね。
私は高校1年まで理系の志望だったんです。そのあと英語の勉強が楽しくなって、文系クラスに変わりました。でも、現代文が苦手だった。それで本を読む練習をしているうちに、橋爪先生の『はじめての構造主義』(講談社現代新書)に出会いました。
橋爪 高校生でこれを読んだのは、なかなかすごい。自分でこの本を見つけたのも、すごい。
川原 「高校生でも読めるように書きました」とこの本に書いてあるので、それを真に受けて、何度も読みました。言語学者になったのも、この本の影響だったかも知れません。
今回、対談のために読み返したんです。いま研究しているテーマは、この本が出発点だったんだ、と思ったりしました。
川原 この本からお話ししたい話題がたくさんあります。まず、「言語の優劣」。
インタヴューで、「なぜ日本語は美しいのですか」みたいな質問を受けることがあります。今でも、「日本語は美しいけれど、ほかの言語は美しくない」と考えているひとがまだいるんですね。「フランス語はきれいな言語だ」とか、「中国語は攻撃的に聞こえる」とか言うひともいる。言語学者として、こういう考えはすごくおかしいと思います。
『はじめての構造主義』は、その反対ですね。レヴィ=ストロースが、「未開人」と思われていた人びとも西欧文明とそっくりの思考パターンをもっているのだと証明した。人間すべてに同等の価値があると考える、ヒューマニズム(人間主義)ですね。
構造主義は現代の言語学にも強い影響を与えていて、言語学者は「言語間には優劣はない」という強い信念を持っています。でもまだ、言語に優劣があると思っているひともいるんですね。
橋爪 そういうのは、「○○バイアス」なんです。
『はじめての構造主義』では、「自民族中心主義」という名前です。自分のことはよく知っていて、相手のことはよく知らない。それで、自分が相手より上だと思う。これは自然な現象だけれど、根拠がない。それを乗り越えられないと、○○バイアスになってしまいます。それが原因で、戦争になることもある。
言語学は、人間の頭のなかをのぞく内視鏡みたいなものでしょ? のぞいてみたら「みんな同じです」と言えるわけ。科学として。これはとても大事なことで、声を大にして言ってください。
川原 その通りで、それが言語学の使命のひとつです。だから、「言語に優劣はない」のだと、いろいろな機会に主張しています。
でも今でも、「なまっている」とか言うし、方言をからかう雰囲気もまだあるでしょ。日本人は方言に寛容ではないなと感じます。
橋爪 どの国も、国語をつくって、国民を統合しようとしたんですね。
国語なんて、はじめはどこにもないわけ。本を出版したり、学校で教育したり、何百年もかかって国語をつくった。「なぜ国語を話さないといけないんだろう」と、みんな思った。政府はそこで、「国語は美しい、それ以外は美しくない」と言うんです。
川原 なるほど。共通語をつくって、国民国家としてまとまるためにも、そういうお題目が必要だったのですね。
橋爪 でも、国語ができることには、メリット(いい点)もある。メリットがなければ、そんな無理なこと誰もしない。
川原 明治維新のあと、上田萬年という学者が『国語のため』という本を書いて、共通語がなければだめだと言いました。方言を禁止しようとまで言ったのです。これは当時、列強に対抗するには仕方がなかったのでしょうか。
橋爪 日本の場合、国語をつくるのに、実はあんまり問題がなかった。だって日本中で、おんなじ漢文を読んでいて、返り点や送り仮名もおんなじで、意思疎通できていたから。行政文書も書けていました。
川原 共通語を持つことと方言を受容することは、必ずしも矛盾しないと思っています。方言は劣ったもので、共通語だけが「正しい日本語」だとする風潮は、言語学者として悲しいなと。
橋爪 国民国家ができるとそれぞれ国語をつくるんだけど、それだと世界全体で言語がばらばらになるでしょう? 英語、フランス語、ドイツ語、イタリア語、ロシア語、ポーランド語‥‥‥みたいに。国家間で意思疎通するのに、共通語がないと困ります。
川原 困りますね。だから世界の共通語としてよかれあしかれ、みんな英語を使いましょう、になった。
橋爪 それをめぐってバトルがありました。みんな、自分の国の言葉が共通語になればいいと思うわけです、当たり前です。フランス語が名乗りをあげ、スペイン語が名乗りをあげ、英語が名乗りをあげ、ドイツ語が名乗りをあげ、‥‥‥になったんだけど、英語は最初そんなに優勢ではなかった。
川原 そうなんですか。当時の歴史は詳しくないので、説明をお願いできますか。
橋爪 イギリスは小さい国じゃないですか。それに、日当たりが悪くて貧乏なんです。農業も大したことない。何でイギリス人は船に乗るかというと、農業で食えないから。漁業をやるので、船をつくる。それに関連する産業もできます。
そのあと18世紀に産業革命が起こって、羊毛工業とか綿織物とかが調子がよくなった。工業は天気に関係がないからね。農産物は輸入すればいいや、になって、気がついたら蒸気船で世界中に出かけて行って、大英帝国になった。だからみんな英語を話しましょう、なんです。アメリカにイギリスの植民地ができて、そのアメリカが独立して、北アメリカを支配したのも大きかった。だから、スペイン語やフランス語を押しのけた。いずれにしても、どこかの国語が国際語になる運命だったのです。
川原 そうですね。確かに英語という共通語がなかったら、私も困ります。論文も書けない。学会発表もできない。海外の研究者と意思疎通できません。それだと、科学の進歩にもさしつかえる。
橋爪 でも、これって、ものすごく不平等だと思わない?
川原 思いますよ。英語が母語じゃない人は、それだけ不利ですから。研究のほかに、英語にもエネルギーを注がなければならない。英語の質がイマイチということで、論文を出版できないなんてことも起こるわけです。
橋爪 その昔、共通語がラテン語だった頃は、ラテン語をふだんしゃべっている人なんかヨーロッパにはもう一人もいなかったわけだから、公平で平等です。で、17世紀ぐらいまでラテン語でやっていたんだけど、そのあとだんだん英語になった。英語圏の人はめちゃめちゃ得する。英語圏以外の人はめちゃめちゃ損する。
1980年生まれ。慶應義塾大学言語文化研究所教授。 カリフォルニア大学言語学科名誉卒業生。 2007年、マサチューセッツ大学にて博士号(言語学)を取得。 ジョージア大学助教授、ラトガース大学助教授を経て帰国。 専門は音声学・音韻論・一般言語学。 『フリースタイル言語学』(大和書房)、『音声学者、娘とことばの不思議に飛び込む』(朝日出版社)等、著書多数。