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感じる人びと 第4回 舌で「感じる」 味の記憶を繋ぐひと

二宮敦人

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Illustration もとき理川

料理人
田村浩二(たむら こうじ)

Mr. CHEESECAKE シェフ

記憶に残らない料理は、なかったのと同じ

 田村さんが目指す場所をもう少し詳しく知りたくて、僕は聞いた。

「でも、うまいものって人によっても違いますよね。自分がおいしいと思ったものが、他の人は苦手だったり‥‥‥そういうときはどうするんでしょう」

「ううん、そうですね。僕は酸味が強い方が好みなので、料理にもそれが表れます。酸味が苦手な方からすると、合わないことはあるかもしれません」

「なるべくお客さんの好みに寄せていくんでしょうか」

「レストランで、僕の料理が好きで何度も通ってくれている方で、ただ酸味だけがちょっと苦手、というなら少し抑えるかな。ただ、通販でそれは難しい。自分が自信を持って出せるものを出す、価値観が根本から合わないのならそれはもうしょうがない、という形になりますね。それに、自分の作りたいものを作れたときの方が、お客様に喜ばれている気がするんですよ。誰かの好みに寄せたものが、必ずしも喜ばれるとは限らない」

「自分の作りたいものというのは、新しさとか、個性も重要だったりしますか?」

 田村さんは少し考え込んだ。

「若い頃は、全く新しい味の体験を作ろうとしていた時期もありました。でも、そういうのって突飛なものになりがちで。ペルーの原種の芋とか使ってもね、確かに珍しい食材だけどうまいとは限らない。それよりは誰もが知っているものだけど、他のお店とは違うおいしさがあるとか。魅力が全て伝え切れていないとか。あとは凄くおいしいのに、まだあまり知られていないとか。そういう新しい発見とか気づきがあるものがいいですね」

「そういえばティラミスで、お酒を使わずほうじ茶や焦がしバターを使ったレシピを作られてましたよね」

「ええ、お酒の味って凄く強くて、繊細な香りを組み合わせてもお酒が全部もってっちゃうんです。極端な話、マイヤーズのダークラムを使えば誰が作ってもその味になる。それじゃ自分が作る意味がない。印象的な香りだったり、作り方がありつつも、その上でちゃんとおいしいものを提供していきたいです」

 僕は話を聞いていて、ふと疑問を覚えた。

 田村さんにとっての料理は自己の表現のようでもあり、他者への奉仕のようでもある。その2つは、一体どこで交わるのだろう。

 答えは、次の一言から明らかになっていった。

「僕は料理の真価って、どれだけその人の記憶に残れるか、だと思うんですよ」

 食べたらなくなるものなので、記憶に残らなかったら何もなかったのと同じ。どこか遠くを見るような目で田村さんが呟いた一言は、会議室に静かに響いて消えていく。

「おいしさの価値観はいろいろで、明確な基準はありません。ただ、実際に僕自身が、圧倒的にうまかったものを忘れていないんですね。こないだ3種のベリーを使ったチーズケーキを作ったんですよ。もともとベリー、好きで。いつから好きなのかと考えてみたところ、たぶん5、6歳くらいから。福島のおじさんが送ってくれた、クリームチーズにブルーベリーを混ぜ込んだ瓶詰めが、めちゃくちゃおいしかったんです。そればっかり食べて、親に怒られたくらい。あの記憶を思い出しながら、作りましたね」

「確かに食の記憶って、誰もが持っているのかも」

 そうそう、と頷いて田村さんは続ける。

「僕、マヨネーズが苦手で。今でも忘れない、幼稚園でお弁当のマカロニサラダがどうしても食べられなくて。休み時間、遊びに行きたいなあ、と思いながら教室に残されてたとか。父の誕生日には必ず五目ご飯が出たとか、おやつに母がドーナツを揚げてくれて、シンプルなドーナツですよ、そこに上白糖をかけたのおいしかったな、とか。あとこれはちょっと珍しいかな、余ったフランスパンをオレンジジュースと牛乳を半々にしたものに浸して、それを冷凍してアイスみたいにして食べる。あれもおいしかった」

 嗅覚は鍛えられる、と言っていたが、味覚もそうなのかもしれない。様々な味に関する記憶を、田村さんは子供の頃から色鮮やかに見分け、学び、蓄積していた。

「母が天草とあずきから水ようかんを作るような人だったおかげです。あと自分は海育ちなので、父と市場に行って、生きてる魚に触れたり、赤座海老を見たり。いろいろと新鮮なものには触れていましたね。父方の実家が農業をしていたので、スイカのシールを貼るのは僕の夏の仕事でした。でっかい倉庫に、こう、スイカがばーっと並んでいて、青い香りがして。大根を洗うでっかいタンクのような機械もあったな、寒い中に大根の葉っぱと泥の香りがして‥‥‥」

 もはや味の記憶というよりは、人生の記憶だ。大切な友達がチーズケーキで笑ってくれた思い出も、その一つなのだろう。

「だから記憶に残るおいしさを目指したいんです。どうやったら料理がその人の記憶と紐付いて覚えてもらえるか、いつも考えています」

 新型コロナウイルスに感染してしまい、しばらく鼻が全く利かなくなった時には焦ったそうだ。

「嗅覚はだめになったとして、味覚だけでおいしさを判断するにはどうしたらいいか、そればかり考えてましたね。結局戻ったので良かったんですけれど。もし嗅覚と味覚がなくなってしまったら、心が折れちゃうかもしれないな‥‥‥」

「他の感覚は大丈夫ですか? たとえば視覚とか」

 田村さんは顔を上げ、あっさりと答えた。

「ああ、それくらいなら全然平気ですよ。誰かサポートしてくれる人は必要ですけどね、おいしさを作る上では支障はないです」

 覚悟が伝わってくる。

 自分のおいしかった記憶を駆使して、誰かの記憶に残る料理を目指し続ける田村さん。まるでリレーのようである。誰かから受け取ったおいしさをしっかり握りしめ、懸命に走り、また次の誰かに手渡していく人生だ。

 料理に限らず、人生の真価とは、誰かの記憶に残ることではないか。そんなことを感じた時間だった。

(第4回 おわり)

二宮敦人(にのみや あつと)

1985年東京都生まれ。作家。 『最後の医者は桜を見上げて君を想う』『最後の秘境 東京藝大: 天才たちのカオスな日常』等、幅広いジャンルでベストセラーを発表。著書に『!』『世にも美しき数学者たちの日常』『紳士と淑女のコロシアム「競技ダンス」へようこそ』『ある殺人鬼の独白』『さよなら、転生物語』『ぼくらは人間修行中 はんぶん人間、はんぶんおさる。』等がある。

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