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美しい本のはなし 家にとどく物語

高山羽根子

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Illustration 塩川 いづみ

 «via wwalnuts» 叢書が届いていたのは、今の家に引っ越すいくつか前の家に住んでいたときのことだった。横浜の、古くてちょっと持て余す程度に広い一軒家で、夏には庭の雑草がいやというほど伸びた。電子書籍が今ほど普及していなかったこともあって、紙の本を買うことにためらいが少なかったのかもしれない。あの時が一番、物理的な本の所持数が多かっただろう。近くにはあまり大きな書店がなく、しかも、横浜には本当に図書館が少なかった。だから東京に出たときを狙っていろいろ買いこんだりもしていた。

 まだ単著も少なく、通信販売で本を買うこともそれほど多くはなかったその時期、自分宛の荷物として書物が届くことは、なんだか特別なことだと感じていたように思う。

 現代美術のジャンルのひとつに「メール・アート」というものがある。そのジャンルはネオ・ダダあるいはフルクサスといった、20世紀の中盤以降から生まれた前衛美術に端を発している。当時、到着地にあっても意味のないものを郵送するパフォーマンスアートというものがあり、それはたとえば、戦地にビジネスの道具を送るというような反戦的風刺も含んでいたらしい。メール・アートは以降、もうすこし複雑な形をとりながら発展していく。作品(それは創作物のときも、あるいは単に石や砂である場合もある)を遠くに運ぶ、配送、郵便、という“関係性”を含めた芸術表現は、現代においてロジスティクスやフード・デリバリーなどの社会的なイシュー、あるいはe-mailや絵文字、動画、SNSアカウントなどのテクノロジー面の変化によって、ちょっと果てしないほどに多様化している。

 現在では多くの場合、送る/送られるという工程の中で、書籍はある程度注意深く梱包されたのち、その表面には宛名が書かれ、ラベルや切手が貼られ、ときにスタンプや手書きでなにかを記されながら移動していく。ただ多くの場合それらの保護材は、購入した相手に届いたあとに破られ、破棄され、書籍自体と切り離される。そうして書籍は、書店で直接購入されたものとまったく同じであるような顔をして家の本棚に収まる。

 «via wwalnuts» 叢書は、本そのものが郵便の形をとって私のもとに届く。まるで郵便という関係性のシステムが、そのまま私と書籍とを結びつける形へとずらされているようだった。ISBNと価格が表記されたシールで封をされた封筒がそのまま本のカバーとなっている。そこにはタイトルが記され、切手が貼られ、そのとき暮らしていた私の住所が共に記されている。なにより、確かに制作者から私に届けようとする意思として、この叢書の主宰のサインが一冊一冊に記されている。これは本が造られ届くまでの経緯が、すべて書籍というそれ自体に記録され、物質的に反映されたしるしだった。

 これはまた、郵便のかたちで読まれることで物語に自分が没入し、干渉するための大きなひとつの手順であるとも思えた。表紙に自分の住所や名前が記されているからというだけではなく、物語が封筒に入り、それを切り開いて読むという行為で自身がその物語の登場人物として関係を持ったような錯覚を持つ。これは、たぶんゲームと映画の越境といったものに近いのだと思う。

 たとえば小説が細切れになって、いくつかの場所に隠されているのを順番に探しながら読んでいく、という行為もきっとどこかゲームに似ている。そうすることによって、読み手が物語の中の登場人物として参加させられる。その断片を飛ばして読むか、あるいは物語を進めるか、順序を変えて違う物語にするかどうかといったことが、読み手の動きに左右されていく。これは、手紙の文面の形をとった小説とは全く違った意味を持っている。

 書籍自体の内容は、その叢書の在り方にふさわしいものだった。小説家、美術作家、評論家にまつわるテキスト、聞き書き、あるいは作品論、詩の評論、それら小説であるといえばまちがいなく小説であるし、詩であるとすればそうでも、また、記録だとすればそうでもあると言えるテキストが、文芸誌と同程度の大きさの封筒の中に収められている。8ページほどのこの叢書は詩人の平出隆によるもので、叢書の名前は彼の著書『胡桃の戦意のために』に由来しているのだろう。

 この叢書の11にナンバリングされた『アクテルデイク探訪』は、彼の著書『葉書でドナルド・エヴァンズに』の中で、架空の国の切手を描き続けていた画家ドナルド・エヴァンズの作った架空の都市、アクテルデイクについて書かれたものだ。また、叢書ナンバリング25は『友愛のひそかな魔法 ドナルド・エヴァンズ頌』となっている。これらの封筒には本来切手が貼られるはずの場所に、エヴァンズの作品である架空の切手が印刷され、その横に本来の郵便切手が貼られている。ドナルド・エヴァンズという画家は、この叢書のシステムにとても重要な影響を与えている。

 これらがいわゆる手紙とちがうのは、レイアウトされた活字であることだ。明らかに複数の人に向けて刷られた物語であることがわかるそれは、でも、封を切って読み進める。このことによって、この叢書の書籍には小さな破壊が起こり、変形をする。書籍が、通常、読んだものとそうでないもので大きく形が変わらないことを考えると、このことがこれらの叢書と一般的な書籍との一番の違いかもしれない。

 この叢書は、複数冊をまとめて保管するための専用の箱も郵便システムに沿った形で作られている。その箱もまた切手を貼られて送られてくる。あるいは、複数冊をまとめて買う場合には、日付をずらして一部ずつ毎日届くようにできるなどの、さまざまな仕掛けが施されている。

 郵便というシステムは、購入をして、手元で開いて読むまでに時差が生じる。時差はある程度その距離に比例している。距離を経ること、時間を経ること、読むために少しの毀損と変形を強いられること。それらの要素すべてが、この叢書に重要な意味を与えている。これは、書籍の物質としての美しさに影響している。電子であっても書籍とする現在において“本”をどう定義するのかという境界を、私たちは曖昧に変形させながら認識しているのかもしれない。

 購入後、引っ越しをするたびにこの叢書は私によって運び出され、別の場所で書棚に収まり、そうして読まれている。今この表紙に書かれた住所にはちがう人が暮らしている、あるいはもうすでに更地かもしれない。なにしろ古い一軒家だったし。

 年賀状でもなんでも、郵便を介した関係性というのは、だんだん空気のように薄くなっていって、そのうち届かなくなったことすら気にならなくなってしまうものかもしれないと思うことがある。でも、最近届いていない誰かからの手紙をふと思い出して、こちらから便りを出してみる、なんてこともあるだろう。この新しい住所へ、また、この叢書を届けてもらおうか。

取り上げられた書籍

  • 『アクテルデイク探訪』 平出隆( «via wwalnuts» 叢書11 2012年)
  • 『友愛のひそかな魔法 ドナルド・エヴァンズ頌』平出隆( «via wwalnuts» 叢書25 2019年)

高山羽根子(たかやま はねこ)

1975年富山県生まれ。小説家。 2009年「うどん キツネつきの」で第1回創元SF短編賞佳作、2016年「太陽の側の島」で第2回林芙美子文学賞を受賞。2020年「首里の馬」で第163回芥川龍之介賞を受賞。著書に『オブジェクタム』『居た場所』『カム・ギャザー・ラウンド・ピープル』『如何様』『暗闇にレンズ』『パレードのシステム』、3人の作家のリレー書簡『旅書簡集 ゆきあってしあさって』、などがある。

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