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感じる人びと 第2回 手で「感じる」 光が透けるまで岩を薄く磨くひと

二宮敦人

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Illustration もとき理川

薄片技術者
平林 恵理(ひらばやし えり)

国立研究開発法人産業技術総合研究所
 地質調査総合センター
 地質情報基盤センター 地質標本館室 地質試料調製グループ 主査



<取材協力>

理学博士 内野 隆之(うちの たかゆき)

国立研究開発法人産業技術総合研究所
 地質調査総合センター
 地質情報研究部門 シームレス地質情報研究グループ 研究グループ長

人相ならぬ、岩相を見る!

 ところで僕が磨かせてもらった花崗岩は、薄片作りの難易度としては低い方らしい。平林さんが石をたくさん並べて見せてくれた。

「花崗岩は割と素直な石なんですよ」

「もっと難しいものがあるんですか?」

「そうですね、これとか見てください」

 差し出されたものを見て、思わず「うわ‥‥‥」と呻く。

「何ですか、このきな粉が固まったような物体は」

 表面はぱさぱさしていて、手で撫でるだけでも粉が落ちる。感触はぐにょっとしていて、ちょっと力を入れるだけで崩れそうだ。

「岩石というと一様に固くて頑丈なイメージがありますけれど、実は個性豊かなんです。こういう脆いものもあれば、ぬめりがあったり、海水を含んでいるものもあります。もっと言うと同じ花崗岩でも、様々な状態がありまして。風化してボロボロだったり、ドロドロだったり、ひび割れていたり、一部が抜け落ちかけていたり‥‥‥それに均一とは限りません。同じ石でも柔らかいところ、固いところがあります」

「それじゃあ、どうやって薄片にするんですか?」

「まずは石の顔つきを見て、うーんと考えます」

 まるで子供と向かい合うように、石をじっと見つめる平林さん。

「この子はどんな子かな、気難しい子かな、素直な子かな。どう磨いてあげるのがこの子にとっていいかな、と。顔を合わせて『あの時痛い目に合わされた奴だ! またお前か!』なんてこともあります」

 そして、方法を模索していく。

「たとえば脆い石だったら、樹脂で周りを固めて補強してから磨くとか。水を含むと崩れてしまう石は、代わりに油を使って研磨してみたり。熱を加えると変成してしまうものだったら、温めたりせず、いつもの接着剤とは別のものを使う。乾かすとバリバリに剥がれてきてしまうものは時間をかけずスピーディに‥‥‥とにかく何とかしてやり方を見つけます」

 そういった時、自分の中の引き出しの数がものを言うそうだ。

「私がここに入ったばかりの頃、師匠が色々な石にチャレンジさせてくれたんですね」

 平林さんの師匠、大和田さんはとにかく実践派。初日からいきなり「じゃ、やってみろ」と言う人だった。

「昔ながらの職人という感じです。でもわからないところは教えてくれますし、質問には納得するまで答えてくれる人でした。怒られたことは記憶にないですね。自由にやらせてもらいましたよ」

 出くわした難題の一つに、豆粒のように小さな石があったという。

「小さすぎて摘まむのがやっとなんですよ。でもやり方はあるもので。周りに花崗岩の板を取り付けて、ガードにして作業して、最後に板を取り外すんです。他にも薄すぎる石であれば後ろに当て石をつけて作業するとか。両側だけ柔らかい石があれば、そこだけ何かで補強するとか。そうやって引き出しをたくさん作ってもらいました。だから困った時は、引き出しをとにかく開けてみますね」

 これだけ多様な石と向き合う平林さんだが、なんと岩石に関する専門的な知識はほとんどないそうだ。

「もうちょっと勉強した方がいいんじゃないかって、怒られそうなほどですよ」

 冗談っぽく笑う平林さん。

「この石にはこういう成分があるから‥‥‥と考えてしまうと、かえって囚われて、判断を誤る気がするんです。この石は熱を加えてもいいかとか、研究者に確認したりはしますけど、それくらいですね。やっぱり顔でわかるんですよ。これは樹脂と合わせると変な反応しそうだなとか。水が苦手そうだなとか」

雪山を登り、V字谷を泳いで

 多種多様な石は、研究者たちがあちこちを探し回って集めてくる。地質学者の内野さんが、広げた地質図を指さして言う。

「これは作成におよそ5年、地質調査に300日くらいかけています。薄片の数で言うと400から500枚くらい作ってもらったかな」

「実際に現地に行って、石を取ってくるわけですよね」

「そうですね。山歩きもしますし、無人島があれば船でそこまで行って取ります」

 研究の内容によっては、火山や海底の岩を取ってくることもあるそうだ。ほとんど冒険家である。

「地質図を作る場合は、どれくらいの間隔で石を集めてくるんですか?」

「どういう地質かにもよりますが、入れる沢には全部入っていきます。一つの沢から最低二、三個取るかな。一日に二、三本の沢に入って。うまくとんがって出ていればハンマーでも取りやすいですが、平べったい場合は岩石カッターなんかも使います」

 地質学者の三種の神器はハンマーにクリノメーター、そしてルーペだという。

「クリノメーターというのは地層面の方向や傾斜を測る道具ですね。持っていない地質学者はいないはずです」

 これらを携えてあちこちに行き、石を背負って帰ってくる。地質学者は体力がいる。見れば内野さんもマラソンランナーのように引き締まった肉体の持ち主だ。

「とはいえ、だんだん経験を積んでいけば取る石の数は減っていきます。顔つきでわかるんですよ。あ、これはこないだ薄片にしたやつと同じだと。そういうのは持ち帰らなくてもすむ。でも地域が変わると、がらりと石の顔は変わりますね。慣れるまでは怪しい奴はなるべく取って帰ります。地形の変形が激しいところや複雑な分布になっているところなんかは、いっぱい集めてくる必要があります」

「大変な作業ですね」

「気候が良ければ気持ちもいいけれど。昔新潟の地質を調べていた時に、残雪期しか行けない場所がありまして‥‥‥尾根を何キロも歩いてキャンプして、あれはほとんど冬山登山でした。V字谷を数百メートル泳いだこともあったな。切り立っていてね、奥に進むには川を延々と泳ぐしかないんです」

「熊なんかの危険もあるのでは」

「ええ、何度も会ってますよ。それから害虫、マムシ、マダニ、ヤマビル‥‥‥漆にかぶれたこともあります。あれは辛かった、顔から首にかけて真っ赤の痒み地獄!」

「そうして集めてきたのがこの石たち、というわけですか」

「はあー。大事に削らないと、頑張ろう」

 そう平林さんが呟く。

 しかし、内野さんは仕事が嫌になったことはないと言う。

「大学を出てからはサラリーマンとしてシステム提案の仕事をしていました。でも一度きりの人生なんだから、好きなことをやった方がいいかなと思って地質の世界に舞い戻ったんです」

「どんなところが面白いんでしょうか」

「宝探しの喜びですかね。大学院生の時に岩手県で、付加体と呼ばれる、海溝でできた地層を調べていました。そこで放散虫というプランクトン化石の発見によって、日本で一番古い付加体を見つけたんです。それまで日本にはペルム紀、つまり2億6000万年前くらいまでの付加体しかないと思われていましたが、そこからさらに1億年近く古い、前期石炭紀のものがあることがわかった。地層はたいてい、古くなるほど見つけづらくなります。露出も減り、断片的になっていきますので」

「大発見ですね」

「まあ運も良かったわけですが‥‥‥あの時の嬉しさは忘れられません」

 遠くを見るような目の内野さん。

「若い頃は年に100日くらいは野外調査でしたね。今は他の仕事もあるから、50日くらいかな。デスクワークが続いていると、無性にフィールドに行きたくなりますよ」

難しい石に会うのはラッキー

 内野さんと平林さんは、互いを見つめ合う。

「平林さん達のおかげで、安心して仕事ができます。一定水準以上の高品質な薄片を、いつも作ってもらえますから」

「内野さんは、ちょうどいい大きさの石で持ってきてくださるので助かります。あと、いつも切るときに置きやすいんですが、あれはあえてそうしてるんですか?」

「ええ。石を取った時に、こう、軽く叩いて整形して‥‥‥」

「やっぱり!」

 持ち込まれる難題も、平林さんはむしろ興味深く感じているようだ。

「こないだは平林さんに、火山灰から薄片を作ってもらったんですよ。中の粒子を見たくて。粒の大きさは1ミリ以下ですね」

「粒の大きさが色々なので、ただ切るだけではしっかり断面が出せず、いい薄片にできないんです。あれは勉強になりました。結局、粒をサイズ別に分けて、それぞれの中心を合わせてから切って作った。ああいうお題をもらえると、そこから色々考えられる。創造的でありがたいんです」

 難しい石に会うと「ラッキーだった」と言うようにしているそうだ。

「そういう石に会えば会うほど、学べますから」

 信頼し合っている様子の二人だが、同時に不思議そうにもしている。

「平林さんは、よく同じ作業をずっと続けられますね」

「えっ! 内野さんこそ、よく地道に歩き続けて‥‥‥」

 確かに二人のやっていることは全然違う。

 だが、僕にはどこか似ているようにも思えるのだ。

「私、薄片作りを単調な仕事だと思ったことはないんですよ。相手にするのはいつも少しずつ違う石ですし、その日の体調や気分によってもうまくいったり、いかなかったりしますから。今年で10年目になりますが、まだまだ不安はありますし、それは最初の頃とあまり変わりません。依頼者に渡すと、『渡せてホッとした』という気持ちですね。喜んでもらえるとやり甲斐があります。でもしばらくすると『こうしたほうがもう少し良くできたのでは‥‥‥』という思いが出てくるんですよ」

「地質学者は歩いてなんぼ。毎日歩けば、必ず何か発見があります。面白い石が出ているとか、変わった地形があるとか。運もあるけど、それだけじゃない。何と言ったらいいかな、それこそ探偵や刑事のように『におうな』っていう感覚がある。大事なのはアンテナを敏感にしておくことでしょうか。露頭‥‥‥岩石や地層の露出部ですね、同じ露頭を見ていても、そこからどれだけの情報を見つけ出せるか。どうしてこうなっているんだろう? をたくさん探すんです」

 常に「石の顔つき」を眺め、「言葉にはしづらいもの」を捉えようと五感をフル活用している点で、二人は同じだ。

「10年、あっという間でしたね。薄片を数千枚は作ったと思いますが、必死に駆け抜けてきたような感じです」

 その間に師匠は定年退職し、1年前からは平林さんがチームの新人に薄片作りを指導する立場になった。

「教えていると、自分も少しは成長したのかな、と思います。でも全然、まだまだですよ。師匠は『失敗すんなよ!』と言いつつ、任せてくれました。最悪、私が失敗しても残りの石でカバーできる自信があったからでしょうね。私はまだそこまで行けてません。これまでは甘えもあったと思います。頼れる人がいると、最後は何とかして貰えますから。でも今は気泡を抜くにしても『ここで何としても抜かねば。自分でやるしかない』と思います」

 優しそうに平林さんは微笑んだ。

「一人立ちって、そういうことかもしれませんね」

 今日も平林さんは、薄片作りのために回転盤の前に立ち、指を振るう。日々変化しながら、受け継いだものを次の代へと繋げていく。

(第2回 おわり)

二宮敦人(にのみや あつと)

1985年東京都生まれ。作家。 『最後の医者は桜を見上げて君を想う』『最後の秘境 東京藝大: 天才たちのカオスな日常』等、幅広いジャンルでベストセラーを発表。著書に『!』『世にも美しき数学者たちの日常』『紳士と淑女のコロシアム「競技ダンス」へようこそ』『ある殺人鬼の独白』『さよなら、転生物語』『ぼくらは人間修行中 はんぶん人間、はんぶんおさる。』等がある。

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