黒川晝車
1997年生まれ。愛知県生まれ千葉県育ち。筑波大学比較文化学類卒。専攻は日本民俗学。Youtube/Podcast番組「ゆる民俗学ラジオ」「ゆる音楽学ラジオ」でパーソナリティをしながら、㈱pedanticの経営する「ゆる学徒カフェ」にて雇われ店長として勤務中。大きな草原が大好きなのでモンゴル及び中央アジアにも関心が強く、隙を見ては渡航を企てている。
今回のテーマ:『鼻歌』
ヒトの恋には歌があり、労働にもまた歌があった
ノスタルジックな目線で鼻歌を語った柳田に対して、だいたんでロマンチックに鼻歌を考察した人物に永池健二という人がいる。柳田が「鼻唄考」を著してから、民俗学で鼻歌をしっかりと取りあつかった人物はほとんどいないらしく、僕が知る限りではこの永池氏のみのようだ。
彼の鼻歌への見解は「かつて鼻歌は目に見えない存在へ行っていた呼びかけだった」というものである。彼が言うには、鼻歌という言葉自体の初出は、それほど古くさかのぼることができないらしい。遅くとも江戸時代初期、早くても室町時代には成立していたと言われる『桜井物語』にはじめて「はなうた」という語が見られるそうだ。この作品以降、江戸時代になってくるとこの「はなうた」という言葉は少しずつ見られるようになってくるのだけれど、それ以前は別な言葉で呼ばれていたという。永池は現代や江戸時代に一般的に用いられるようになった鼻歌と全く同じものではないにしろ、誰に聞かせるでもなくひとり口ずさむ歌のあり方として、「ウソブク」があったと指摘している。
「ウソブク」という言葉を辞書で引いてみると、次のように説明される。強がること、とぼけること、虎などが咆哮すること、口をすぼめて強く吹くこと、口笛を吹くこと ― そして、低い声で歌を吟じること。『桜井物語』成立以前から見られるこの「ウソブク」という動詞は鼻歌とほとんど同じ意味を持つ言葉であると同時に、このように多くの意味を持っていた。こういった事実から注目できるようになるのが、鼻歌と口笛の近しさである。
夜口笛(よるくちぶえ)の禁忌は、誰しも一度は耳にしたことがあると思う。「夜に口笛を吹くと蛇が出るよ」「夜に口笛を吹くと泥棒が来るよ」などの言い伝えのことだ。こういった非科学的で非合理的でも、人々の永い生活で培われた経験から帰納的に導き出され、また伝えられてきた生活知識のことを民俗学では「俗信」という。ときに迷信という言いかえで悪しざまに扱われることもあるけれど、俗信の「~というように信じられている」という側面は、人々がどのような世界観を持っていたかを推察できる材料でもある。
そうした視点で見てみると夜口笛の禁忌からは「誰に向けるでもない口笛はあて先がないために、それを聞きつけたお呼びでないものまで呼び込んでしまう」という人々の認識をうかがい知ることができるわけだ。それと同時に、そもそも口笛が「目に見えないものに向かってアプローチする手段のひとつ」だったことまで推し量ることができる。俗信ってほんとうに面白い。
口笛についての俗信は紹介したけれど、そういえば肝心な鼻歌についての俗信はどうなのだろうか。実は永池の論考で紹介されている鼻歌の俗信例はひとつもない。そこで僕は、国立歴史民俗博物館の「俗信データベース」と国際日本文化研究センターの「怪異・妖怪伝承データベース」に検索をかけてみた。これはたいへん便利で楽しいのでみなさんも暇なときは触ってみると良い。
さてその結果。なんと「怪異・妖怪データベース」の方はたったの3件。「俗信データベース」の方にいたってはどんなに工夫してもひとつもヒットしなかった。おまけに確認できた3件の事例は、別に試してみた「口笛」の検索と大差ない内容ばかりだったのだ(ちなみに「口笛」と検索するとそれぞれ40件、129件が表示される)。このことから言えるのは俗信(すなわち人々の認識)レベルで、ある時点まで日本人にとって鼻歌と口笛はほとんど区別されず同じものとして扱われていた可能性が高いということ。そのために、口笛の持っていた「目に見えないものに向かってアプローチする手段」という役割を同様に鼻歌も持ち得た、ということだ。
永池はこういった分析に加えて、さらに「ウソブク」という行為の起源にまで言及している。彼が言うには、古代日本で社会の動乱に際して現れる予言のまじない歌「ワザウタ」というものまで、鼻歌のはじまりを遡ることができるのだそうだ。詳しいことは彼の著作『逸脱の唱声 歌謡の精神史』(梟社)を実際に読んでもらえるといい。「ワザウタ」についてはゆる民俗学ラジオでも「流行神」をとり上げた回で取り扱っているのでそちらをご視聴くださいませ。
ともあれ。集団で行うのがもともとのあり方であるはずの歌謡が零落した姿、ともとれる柳田の鼻歌論に対して、永池の主張は異なった立場をとっているのがわかる。そもそもこの国にはひとりで歌謡する行為があって、しかしその行為に含まれていた人以外の存在への呼びかけという呪的な要素は、鼻歌という語が一般化したころには失われてしまった。というのが彼の鼻歌起源論だ。はじめは複数人で行うものだったか、はじめからひとりで行うものだったか、というのも両者のおおまかなスタンスの違いである。
直感的には、永池の主張の方が比較的しっくりくる。この感覚は「はなうた」という言葉の現時点での初出とされる『桜井物語』の該当の部分を見てみると、よりいっそう増す。
『桜井物語』の主人公である玉千代丸は皇族の流れを組む地方権力者の家に生まれる。待望の跡取りだったのだけれど、不幸にも実母に先立たれてしまう。こうなるとだいたい継母が登場してこれにいびられるのがお決まりだが、才気あふれる玉千代丸も例に漏れず、なにかと継母の理不尽な攻撃にさらされるようになる。例えば、ちょうど指を蜂に刺されて不自由しているタイミングで笛を吹けと命じられ、それを辞退したら父母ともどもから不興を買ったり ― あまりにも大人げない大人たちだ。やがて継母と実の父親のあいだに新たに子どもが生まれ、玉千代丸は暗殺の対象になってしまう。そのことを乳母から耳にした彼は故郷を去ることにして、従者の藤源次とともに旅に出る。何度も盗賊に襲われたその道すがら、彼らはある村に行き着いた。この村で浮浪の二人は、予想に反した心温まる歓待を受けることになる。旅人を交えた村人総出の宴会、そのお開きの場面で「はなうた」が歌われる。それは村人たちによるものだった。
「とり/\みはに、うちゐひて、おもひ/\の、はなうた、うたふて、かへりける」(/\は繰り返し記号)
村人たちは宴からひきあげるそのみちすがら思い思いの「はなうた」を歌って帰った、という描写だ。緊張が続くさすらいの物語の中で、拍子抜けなほどに明るく平和で心温まる情景が描かれている。
情景描写に用いられるという事実はある程度、そこに描かれた風景が現実に存在していたことの証しにもなるだろう。呑気で平和で、いかにも快い気持ちで歩く帰り道。このあたりだけ見ると、鼻歌のある風景というのはさして現在と変わらない感じがして、ほっとする。
ここまで柳田の鼻歌論、永池の鼻歌論のふたつを紹介してきた。いずれの主張にも共通して言えることがある。それは鼻歌はその起源をたどるとあくまでも個人にとどまることはない行為である、という視点だ。
柳田は鼻歌に、かつての人々の生活のあり方を思い返してやまないノスタルジックな夜泣きのような成り立ちを見た。鼻歌の動機には昔懐かしむ気持ちと歌謡本来の楽しさの両側面がある、というのである。永池は鼻歌の背景についてわざわざ「歌い手自身へと帰還する自己充足的な表現のみを見出しがち」という断りをいれてまで、持論を展開している。こういった二人の主張は、いずれも現代の鼻歌という行為があくまでパーソナルなものになってしまっている、という認識からはじまっている。
そんなすっかりパーソナルな鼻歌について興味深い話を聞くことがある。それは「鼻歌が盗られる」という体験だ。
僕の知人がSNSで「自分が鼻歌を歌いだすと、それまで黙っていた同居人に別な鼻歌を歌われて邪魔される」という旨の書きこみをしていたことがあった。そんなことあるかいな、と思っていたのだがそれ以来注意深く日常に聞き耳を立てていると、「鼻歌の盗難」は実によく観測された。それどころか私もふとした時に鼻歌を盗んでいたし、盗まれていることがあった。
こういった現象が僕の身のまわり以外にも起きている証左として、Yahoo!知恵袋に見られるこんな投稿をご紹介しよう。
[ 質問 ] 鼻歌を友人に盗まれます。そんな人いませんか? 私が鼻歌を歌ってると、急に同じ歌を横で歌い出して、途中から一緒に歌うならともかく、始めから自分のテンポで歌い出します。友人のほうが声が大きいので、せっかく気持ちよく鼻歌を歌ってたのに違うテンポで割り込まれてしかも自分の鼻歌にされてしまい、いつもイライラします。何なんでしょうか‥‥‥。 そんな人いませんか? (2011/5/6 9:43 https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1061676705 )
重ねて「そんな人いませんか?」とたずねているあたりから、あまり周囲からの理解が得られなかったようで気の毒に思えてくるが、それはそれ。この投稿をしても、やはり「鼻歌が盗られる」という感覚、経験は気の迷いではないことがわかる。
盗られる、という被害意識の裏には所有・占有の感覚があるのは言うまでもないだろう。つまり鼻歌は柳田の言うような忘れがたい過去に対してのものでも、永池の主張するような目に見えない存在に向けてのものでもない。むしろ歌う人間にとって極めて私的なものになっているということだ。言われてみれば無意識にしている鼻歌について、その場に居合わせた誰かから「それはだれの曲なの?」などと聞かれようものなら、裸体を見られたような気恥ずかしさがある。というかそもそも人がいるところですすんで鼻歌を歌おうと思わない心持ちそのものに、鼻歌の秘め事的性格があると言って差し支えないはずだ。
柳田と永池の論考のいずれにも、鼻歌盗難被害の訴えに見えるような強い私的所有の感覚については言及がなかった。ともすると、二人の主張のようにこの鼻歌へのパーソナルな感覚にはそれほど長い歴史が無いのかもしれない。一方で鼻歌を歌う瞬間のことに目を向けてみると、今と昔で変わらない点がある。それはどの瞬間でも鼻歌を歌う人はのんきで楽し気であることだ。たいへん結構なことだがこういう平和ボケは、生物として油断している状態であると言ってもいい。
そう考えると ― もしかして、という思いつきも生まれる。
鼻歌を盗られて不快に思う感覚や鼻歌を聞かれて恥ずかしくなる感覚は、あるいは生物として脇が甘くなっている瞬間を見られて危機感を持っていることを意味しているのかも。つまり「鼻歌が盗まれる」という感覚は原始的(プリミティブ)な反応であり、文献資料に無いだけでずっと人々が持っていたものなのかもしれない。また、鼻歌を盗む側の動機に寄り添って想像を膨らますこともできる。柳田の言うように鼻歌がかつて労働などの「仕事」の歌であったとすれば、歌を歌うことは潜在的にその歌を向ける相手やいっしょに声を合わせて歌う仲間を必要とする行為でもある。だとすれば、誰かが鼻歌を歌っていれば「一緒に歌いたくなっちゃう」のも必然なのかもしれない。いや失礼、少々筆が乗りすぎました。このくらいにしておきます。
僕には楽しみなことがある。それはこれからさき「鼻歌を盗まれること」について新たに俗信が生まれるのではないか、という期待だ。どんなに僕たちが科学的にものを判断しているつもりでも、どんなにものごとの分別がついているつもりでも、俗信はどこからか絶えず生まれてくる。だから数年さき、または十数年さき、あるいは数十年さき、ふと気づいたら「鼻歌を盗まれること」はとても忌まれることになっているかもしれない。俗信ではすぐ「~すると死ぬ」「~すると病気になる」などと言うので、「鼻歌を盗まれると死ぬ」という言説がいつ広まってもおかしくない。その時がきたら、いっしょにニンマリしましょうね。
最後に「鼻唄考」から柳田のひと言を引用しておこう。
「鼻唄は日本に於ては尚此上にも、進化し又複雑になつて行きさうである。」
まだまだ鼻歌から目は、離せない。
民俗学がその対象としている人々の生活世界。その変化はあっという間で目まぐるしく、新たに発生しては気づかないうちに消えていくものが無数にある。いくら目や耳があっても足りっこない。
そこで、ここまで読んでくださったみなさんにお願いしたいのが日常の観察と記録だ。
難しいと思うだろうか。何を対象にしたらいいかわからない?
じゃあ例えば ― そう、鼻歌とかどうだろう。ね、難しくないでしょう?
そう思ってもらえたら、僕は思わず鼻歌だって歌ってしまうに違いない。
(第1回 おわり)
1997年生まれ。愛知県生まれ千葉県育ち。筑波大学比較文化学類卒。専攻は日本民俗学。Youtube/Podcast番組「ゆる民俗学ラジオ」「ゆる音楽学ラジオ」でパーソナリティをしながら、㈱pedanticの経営する「ゆる学徒カフェ」にて雇われ店長として勤務中。大きな草原が大好きなのでモンゴル及び中央アジアにも関心が強く、隙を見ては渡航を企てている。