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美しい本のはなし 「美しさ」と書物

Illustration 塩川 いづみ

 愛書家ではないしコレクターでもないので、羊皮紙の手彩色写本どころか、ケルムスコット・プレスの本も所有していないし、小村雪岱の造った本も持っていない。高価な革装本や贅をこらした特装本も家にはない。資産家であればそういうものに手を出したかもしれないが、残念ながらわたしはそういう星の下には生まれていない。装丁に深い興味があることは事実であるが、本にかんするわたしの興味は第一に内容であり、内容と佇まいが醸しだす詩性のようなものだ。精神的な風景を所有するといった心持ちでわたしは本を買う。だからわたしの本棚にある本が「美しさ」を有しているとしても、それは外面的にはたいていささやかであるし、その美はもしかしたら自分の感覚に限定されたものかもしれない。長いあいだ翻訳の仕事をやっているので、家には外国語の本がそれなりにはあって、この文のテーマに遠くないものをいくつかあげてみよう。

 1冊目はジョゼフ・ダウスンの『訪れた光』(The Light that Came)である。ロンドンの版元であるユニコーン・プレスから1896年に上梓された小型の本である。刊行されてから1世紀以上経っている。本の寿命はもちろん人間よりずっと長い。同年は日本の年号で言えば明治29年、ロンドン市民はその年の夏の盛りには史上最短の戦争とされるザンジバル戦争について噂しあっていたかもしれない。

 欧米の本のサイズは元になる大きな用紙を何回折ったかで表されるが、元の紙の大きさにかんしての厳密な決まりはないようなので、仕上がりのサイズは様々であるし、時代や国によっても差がある。八つ折り(オクターヴォ)と呼ばれるものが、日本で四六判と呼ばれるもののサイズに近い。この The Light that Came は四六判よりだいぶ小さい。表紙は全面にわたって金が使われ、書物において小型で美しいというのは、より大きな幸福感を提供するようでもある。

 12篇の短篇が収録されており、登場人物は「時間」や「死」で、人間はあまり登場しない。ファンタジーあるいは寓話と形容すべき作品、ほかでは味わえないものが並んでいて、ロード・ダンセイニやローレンス・ハウスマンなどの系統にある書き手であるように思う。以前刊行したアンソロジーに一作だけ紹介したことはあるのだが、この本が日本に紹介されることはないかもしれない。

 2冊目のネッタ・サイレット『魔法の街』(The Magic City) はファンタジーおよび児童文学のジャンルに属する本ということになる。

「夏至の日」「フェアリーの贈り物」など7作が収録されていて、タイトル作「魔法の街」は、ロンドンの実在の場所を訪れるとそこは名前通りの場所で、という趣向の短篇の連作である。

 たとえばチャイルズ・ヒル (Child’s Hill)を訪れると、大きな丘があって、そこでは無数の子供たちが思い思いの遊びに興じている。チャイルズ・ヒルはもちろんいまもあり、バーネット・ロンドン特別区内の街である。

 挿画はメアリー・コベット。こちらの版元ローレンス&ブレンもロンドンにあり、刊行は1903年である。

 本には物語が収められているが、作者にもまた物語が収められている。サイレットの名は19世紀の女性運動「ニューウーマン」に関連付けられるし、彼女はまた世紀末の著名な雑誌『イエローブック』の寄稿家でもあった。

 3冊目はオーストラリアに生まれてイギリスで活動したヴァーノン・ノウルズの作品集 『二と二で五』(Two and Two Make Five) である。こちらもまたロンドンのジョージ・ニューンズ社から刊行されている。紙の厚さと小口の三方のアンカットが好もしい。

 無名作家という呼称は書き手にとって残酷かもしれないが、ファンタジーの書き手に冠するとこの「無名作家」という語は不思議な光を放つようでもある。

 収録作は12作。読み進めると独創性が顕著でもなく、修辞力に抜きんでているわけでもないことが見てとれる。凡庸な作家とあっさりと退ける読者のほうが多いかもしれない。けれど、わたしはその事実に不思議な魅力を覚える。ノウルズの書くものはファンタジーとしてとりたてて魅力的というわけではないが、ノウルズ自身の存在のファンタスティックさに軽い目眩を覚えるのだ。

 自分でも理由を説明できないのだが、わたしはこの本の表紙と本文の扉の絵にずっと強く惹かれている。描き手はマルコム・イーストン。刊行は1935年。

 4冊目はメアリー・ウィルキンズ=フリーマンの『サイレンス』(Silence)という長篇である、ウィルキンズ=フリーマンはいまではおもにゴースト・ストーリーの作家として知られている。おおらかで滋味豊かな話が多い。

 最初の3冊は濃厚にファンタジー的である。そして美しさを語ろうとするとき、これらを並べたことはもちろん偶然ではない。

 ファンタジーは一般には現実の対立項ということになっている。その把握の仕方はあまりに素朴であるが、まったくの間違いではない。そして美もまたおそらく現実に常駐するものではない。現実にたいする位置関係だけですでに美はファンタスティックな創造物・作品と関連性があるのだ。

 あらためて書物における美について思いを巡らすと、さまざまな美のなかで書物の美というものはもしかしたら例外なのかもしれないとも思う。

「美」はなかなか厄介なものであって、時に容易に権威や階級と結びつく。けれども本の上に顕現した美は権威的でもないし原理主義的でもない。支配を及ぼさない美である。それはわれわれが人生で時折出会う美しい風景や、心を動かす人の交歓と似ている。そして驚いたことに本の美は所有さえできる。

 本を所有するということは美しい偶然性に身を委ねることであり、希有な同時性を愉しむことである。

 われわれは本をあがなって家に持って帰っているように見えるが、じつはそうではない。逆だ。本のほうからやってきているのだ。本は自分で居場所を決める。あなたの本棚にある本はあなたを選んでやってきた。われわれは自分の所有する本にふさわしい人間になることを心がけるべきだろう。

取り上げられた書籍

  • The Light that Came」Joseph Dawson(ユニコーン・プレス、1896年)
  • The Magic City」Netta Syrett(ローレンス&ブレン、1903年)
  • Two and Two Make Five」Vernon Knowles(ジョージ・ニューンズ社、1935年)
  • Silence」Mary E. Wilkins-Freeman(ハーパー&ブラザーズ、1898年)

西崎憲(にしざき けん)

1955年青森県生まれ。作家、翻訳家、音楽レーベル主宰。 日本翻訳大賞の創設、文学ムック「たべるのがおそい」の編集長を務めるなど、幅広い分野で活躍。2002年、『世界の果ての庭』で第14回日本ファンタジーノベル大賞を受賞。著書に『ヘディングはおもに頭で』『未知の鳥類がやってくるまで』『全ロック史』、訳書に『郵便局と蛇』コッパード、『ヘミングウェイ短篇集』、『青と緑 ヴァージニア・ウルフ短篇集』、『あの人たちが本を焼いた日 ジーン・リース短篇集』などがある。

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