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感じる人びと 第3回 耳で「感じる」 音で舞台を演じるひと

二宮敦人

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Illustration もとき理川

舞台音響表現家
百合山真人(ゆりやま まさと)

息を吐いてボタンを押すと、音が飛ぶ

「音響卓のボタンをポンとただ押せば、音は出るわけです」

 テレビのリモコンなんかを思い浮かべながら、僕は頷(うなず)く。

「だから極端なことを言えば、機械さえ買えば音響って誰にでもできちゃう、音を出すだけなら。でも、この台詞の後にこの曲を流すと言われて、ただポンと押す。それでいいのかと思うんです」

「え? それでいいんじゃないでしょうか。何か違いが出るんですか?」

「たとえば、少し前にやった演劇なんですけども。戦争中の北朝鮮を題材にした話でした。母親について主人公が話すシーンで曲が流れるんです。さて、どう流したらいいか。音量はどれくらいから入るか、タイミングはどこで入るか。そこで考えます」

 百合山さんは両手を広げ、しばし目を閉じた。

「主人公は35年くらい前の出来事を思い出すんですね。すぐには浮かんで来ないはず。まずは心の奥底に仕舞い込んだままの玉手箱をそっと探って、おずおずと出してくる。ゆっくり開くと、そこから少しずつ断片が溢(あふ)れ出してきます。徐々に記憶は鮮明になっていって‥‥‥これまで誰にも言わずにきた話なんです、言えなかった。自分のせいで母親が粛清されてしまって、ずっと負い目に感じていて‥‥‥それを日本からやってきた新聞記者に、ぽつりぽつりと語り出す。最後にはまた大切にしまって、元に戻す‥‥‥」

 まるで本当に箱に戻すような真似をして、目を開く。

「そういう音楽の流し方をしたんです」

 機械のダイヤルをひねり、ボタンを押しているだけである。しかし耳を澄ませてヴァイオリンの弓を引くような生々しさを感じる。血の通った演技という表現があるが、この場合は血の通った音響、だろうか。

「もちろん機械の操作は大事ですよ。正確に動かせなければなりません。知識や練習が必要ですし、本番もミスがないよう、確認作業をしながらです。でも、その先が必要なんです。僕に音響を教えてくれた方の一人が、演劇作りはものづくりに似ていると言っていました。ものづくりは完成形をイメージして、具現化するために図面設計をして、機械を組み立てる。演劇作りもそうで、お客さんにどう感じてもらうかをイメージして、音響プランを組み立て、音を作り、音量やタイミングを調整し、現場のスピーカーの配置などを決め、実際に操作する」

「お客さんに伝わって初めて、仕事をしたといえるわけですね」

「その方は音響機器の開発もしていました。昔はスライドボリュームといって、ツマミを前後に動かして調整する装置しかなかったそうです。それを回転式のダイヤルに変えた」

「何のためにですか」

「仕事上必要だと気づいたそうです。ダイヤルなら手の角度で、今どのくらいの音量かがわかる。つまり手元を見なくてもいい。芝居の中で、ここは目を離さず集中して操作しなくてはならない、という場所が必ずあるんです。そこで機械や台本を見ていたら、客席の空気を動かせない。伝わらないんです」

「ただ機械を操作すると言っても、奥が深いんですね‥‥‥」

「はい。伝えたい想いとか、気持ちが大切になってきます」

続きは書籍にて!

 

二宮敦人(にのみや あつと)

1985年東京都生まれ。作家。 『最後の医者は桜を見上げて君を想う』『最後の秘境 東京藝大: 天才たちのカオスな日常』等、幅広いジャンルでベストセラーを発表。著書に『!』『世にも美しき数学者たちの日常』『紳士と淑女のコロシアム「競技ダンス」へようこそ』『ある殺人鬼の独白』『さよなら、転生物語』『ぼくらは人間修行中 はんぶん人間、はんぶんおさる。』等がある。

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