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知られざる物語-小説の源流をたずねて ボールドウィン『猫にご用心』解説(2)

大久保ゆう

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Illustration 樋上公実子

ボールドウィン『猫にご用心』を読む

 さて、今回公開されました第二部では、ついに語り手のストリーマ氏が秘薬の生成を行っています(おどろおどろしい描写も含まれますので、苦手なかたはご注意ください)。大鍋(大釜)でさまざまな素材を煮込んだり謎の液体を濾(こ)したりするさまは、一般的な魔女のイメージとも近しいものがあるでしょうか。お読みになったかたにはおわかりの通り、第一部では魔女の伝承や噂話、第二部では魔術の秘奥が主たる話題となります。

 今作はルネサンス期英国のお話ですが、古い時代と魔女と言えば、すぐに魔女狩りのことを思い浮かべるかたも多いでしょう。ただし今作の執筆年はイギリスで第一次の魔女恐慌が始まる前で、しかもそれが盛んだったのは、今作の舞台であるイングランドやアイルランドではなく、スコットランドとその周辺地域だったという点も忘れてはなりません。確かに今作執筆の少し前、1542年に魔女を死刑とするお触れも出てはいるのですが、1回も用いられないままその5年後に廃止されるくらい、当時ヨーロッパ大陸とは温度差がありました(1)。そのため、お話のなかの魔女はただ恐怖の存在というよりも、どこか奇談や笑い話の登場人物のようです。当時よく知られた魔女伝承も随所に現れていて、魔女の変身のほか、獣化時に受けた傷痕は戻ったときもそのままだというリパーカッション現象、また魔女の用いるサーヴという塗り薬なども、それぞれその要素のひとつ。女性嫌悪の書として悪名高い『魔女への鉄槌』も1520年には英国で刊行されていますので、もちろん多少の影響があるものの、魔女追及の本格化は16世紀末を待たねばなりません。

 むしろストリーマ氏のほうこそ魔女然とした行為に耽っていて、そちらに驚いたかたもいらっしゃるでしょう。これは同じ魔術でも、ルネサンス期には自然魔術とも呼ばれたもので、今風に言えばいわゆる白魔法のことです。同時代16世紀の賢人ジャンバッティスタ・デッラ・ポルタは、魔術を2種類に分類した上で、悪魔や邪霊と関わる妖術(黒魔法)とは異なるものとして、自然界のさまざまな事物を悉知(しっち)して活用する自然魔術を提唱しました(2)。とりわけ本作が典拠とするのは、トマス・アクィナスの師匠アルベルトゥス・マグヌスが書いたとされる別名『秘法の書』です(3)。錬金術的な内容も含まれたこの魔術書は当時の英国でもラテン語版と英語版が出回っていて、ストリーマ氏が参照したのは、そのうち薬草・鉱物・動物の薬効と加護を考える巻のようです。薬効のあるさまざまな自然物を乳鉢で擂(す)りつぶし、そのエッセンスを抽出するのは、自然魔術ないし練丹術(れんたんじゅつ)の基本でもあります。もちろんこうした魔術をよく思わない人たちもいるわけですが、そもそも僧侶であるストリーマ氏が否定しないのは、神の造った自然の秘密に迫ることが神の御業を考えることにも通じるからでしょう(実際、神の被造物という観点から迷信を退けるシーンが第二部にもありましたね)。

 しかし、ただ薬を作ればいいというわけではなく、この当時の魔術では、そうしたいという本人の明確な意志・想像力とともに、「適切な惑星にとって相応しい日時に儀式を行なうこと」も必要でした(4)。占星術によれば、天球にある各星辰(せいしん)には、古代ギリシアのアリストテレスが基本性質だとした熱・冷・乾・湿(ねつ・れい・かん・しつ)のほか、運命や効力にかかわる各種の属性が設定されていました。そこで薬の効果を最大限に引き出すためにも、効用と関係の深い惑星がいちばんその影響力を高める時間帯に、その生成や利用を行うという次第です。先の『秘法の書』にも、その手引きとして各惑星の司る事象と、どの曜日のどの時間帯が、どの惑星の支配する刻限になるかという一覧が記載されていました。だからこそストリーマ氏も、本篇中では常に時間を気にしながら作業を行っていたのです。天と地が照応する世界観のなかに自然魔術はあるので、占星術と錬金術と魔術と宗教は容易に分かちがたいものでもあって、そういう意味では今作もルネサンスの知の一側面を見せるものだと言えましょう。

 とはいえ、この作品の記述のどれもが、既存の文献に照らして正しいとは限りません。ストリーマ氏自身が考案した猫の声を聴くための秘薬の作り方はむろんでたらめですし、狩りの殺生のときに唱える呪文も、今回は割愛した欄外註にはアルベルトゥスが出典とあるのですが実のところ未詳です(ただ中世の魔術書『ピカトリクス』などには惑星に合わせた霊の名を呼んで加護を祈る呪文はあるのでまったくいわれのないわけではありませんが(5))。この『猫にご用心』は、典拠ある内容を適度に配しながら、あいだあいだに想像力による法螺話を挟み込み混ぜ込んでいくのが特徴のひとつで、あるところではアルベルトゥスを正しく引用しながら、別のところではもっともらしい偽レシピや謎呪文を入れることでそれらしさを演出するのです。他にもたとえば、第一部のモロキトゥスは子どもを生贄(いけにえ)とした古代の神モロクのことですが、併置されたミサンスローピはおそらく古典ギリシア語の〈人間に対する憎悪〉(ミーサンスローピアー)から造語した架空の悪霊。アイルランドの話にしても、7年ごとの狼変化の伝承には出典がありますが、かたや猫の話については、背景にある固有名詞等は実在人物に基づいていても、グリマルキンの死(1511年)と史実の年代が合いません。アウグスティヌスの著作に魔女の言及があるのは確かですが、アレクサンドリア主教が雀の言葉を聞いたという都合のいい記録は残っていません。さらに流布されていることわざを会話内にちりばめつつも、さらりと「猫には九つの命がある」といった創作格言を混ぜます。

 この部分的に正しいという手法は、登場人物や舞台についても同様で、最初に出てくる著者本人とフェラーズ氏は同定可能な歴史上の人間で、物語の舞台となる印刷工房もその地にジョン・デイという出版人が実際に業を営んでいましたし、その関係者に物知り古老が(欄外註で示唆された名前の通りの人物として)いたとわかっています。しかし語り手ストリーマ氏は、あくまで「いたかもしれない」と思えるように演出された、どこか滑稽でもある架空の僧侶兼魔術師なのです(6)。この「いたかもしれない」「あったかもしれない」「そうかもしれない」という想像力の受容が大事なところで、本作にちりばめられた数々の作り話が、逆に伝承化してのちに伝わっていくことになります(事実、今作が再発見されるまでは実際の伝説があったのではないかと誤解された内容もありました)。

 それでもなお今作が創作文芸の伝統の流れにあることは、第二部でジェフリー・チョーサーの「名声の館」という詩が引き合いに出されていることからも実感できます(7)。オウィディウス『転身譜』を下敷きにするこの詩は、この世のあらゆる音声(噂話や雑音)を集めるという、天海地のはざまにある「名声の館」を夢のなかで訪れる(未完ともされる)物語なのですが、その非現実譚でもありえないと示されることで、これもまたやはり夢幻なのだとほのめかしているわけなのです。

【註】
(1)魔女や魔女狩りについては、すでに多くの本が出ていますが、近世(初期近代)における新しめの情報が知りたい向きには、Brian P. Levack [ed.], The Oxford Handbook of Witchcraft in Early Modern Europe and Colonial America, Oxford UP, 2013をおすすめします。英国の魔女恐慌には数度の波があり、なかでもスコットランドが中心となった1590年代、〈魔女狩り将軍〉マシュー・ホプキンズがイングランド南東部で専横した1640年代、そして王政復古後のスコットランドでまたもや巻き起こった1660年代初めが代表的です。
(2)詳しくは、ジャンバッティスタ・デッラ・ポルタ『自然魔術』(澤井繁男[訳]、講談社学術文庫、2017)第1巻第2章を参照のこと。
(3)アルベルトゥス・マグヌスについては、澁澤龍彥『黒魔術の手帖』所収の「自然魔法もろもろ」でご存じのかたも少なくなかろうかと思います。今作で用いられた『秘法の書』は、アルベルトゥス・マグヌス『大アルベルトゥスの秘法』(立木鷹志[編訳]、河出書房新社、1999)に「第二の書」として邦訳されています。
(4)引用は、リチャード・キャヴェンディッシュ『黒魔術』(栂正行[訳]、河出書房新社、1992)の「占星術と魔術」296頁。
(5)邦訳は、『ピカトリクス――中世星辰魔術集成』(大橋喜之[訳]、八坂書房、2017)。ここで呪文を唱えるのは、口頭・口唱を重視するカトリック教徒を揶揄したものと解釈する読みもあります。詳しくは、Jennifer Richards, “Reading and Listening to William Baldwin”, A Mirror for Magistrates in Context: Literature, History and Politics in Early Modern England (Harriet Archer & Andrew Hadfield [eds.]), Cambridge UP, 2016, pp.71-88.
(6)近年の考察では、刊行当時このストリーマ氏が実在する同姓同名の人物と誤解された可能性があること、その人物が果たしてモデル人物であったのか否かについての議論もあります。詳細は、Marie Hause, “Identifying John Young and Gregory Streamer in William Baldwin’s Beware the Cat”, Notes & Queries, 68: 4 (December 2021), pp.393-96およびBen Parsons, “William Baldwin’s Beware the Cat: Some Further Light on Gregory Stremer”, Notes & Queries, 69: 2 (June 2022), pp.85-86.
(7)邦訳に、ジェフリー・チョーサー『チョーサーの夢物語詩:公爵夫人の書 名声の館 百鳥の集い』(塩見知之[訳]、高文堂出版社、1981)などがあります。

大久保ゆう(おおくぼ ゆう)

1982年生まれ。翻訳家。研究者としての専攻は、翻訳論・翻訳文化史。 16歳から青空文庫に翻訳作品を発表、大学院在学中からフリーランス翻訳家としても活躍。 文芸、サブカル、画集などの訳書や著作権についての批評も手がける。訳書に、スコット・L・モンゴメリ『翻訳のダイナミズム――時代と文化を貫く知の運動』、アーシュラ・K・ル=グウィン『文体の舵をとれ ル=グウィンの小説教室』等多数。

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