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「ことば」と「音」で遊ぼう! <小学生と学ぶ超言語学入門> 特別対談 橋爪大三郎 × 川原繁人 <校長先生への授業報告>

川原繁人

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Illustration ryuku

特別対談
橋爪大三郎(はしづめ だいさぶろう)

1948年生まれ。社会学者。大学院大学至善館教授。東京工業大学名誉教授。東京大学大学院社会学研究科博士課程単位取得退学。 『はじめての構造主義』(講談社現代新書)、『だれが決めたの?社会の不思議』(朝日出版社)、『権力』(岩波書店)、新書大賞2012を受賞した『ふしぎなキリスト教』(社会学者・大澤真幸氏との共著、講談社現代新書)等、著書多数。

AIが変える世界と言語

橋爪 社会がこれからどうなるかに、私は関心があるんです。変な方向に行かない、よりよい社会を実現したい。そこで言語の問題も大事になる。

 社会のなかの言語の位置も、歴史とともに変わってきたと思います。例えば、国語ができて方言がおとしめられたりした。文字ができたり、印刷術ができたり、ラジオやテレビができたり、SNSができたり、どんどん人間の言語経験が変わって来ています。

 でも、これから先、こんなものじゃないと思う。例えばいま大学では、期末レポートにChatGPT を使っていいか、議論になっている。試しにやってみたら、よさそうなレポートを10秒で書いてしまう。だから今年度は使ってはいけないことになりました。

 けれどもこれは、便利なんです。ごく近い将来、職場でも、文章を書くのにAIを使うのは当たり前になるでしょう。社会がそうなれば、学校で文章を書く練習をする必要があるのか、という問題が出てきます。

川原 ChatGPTのような技術を使いこなす力が前提になるかもしれない、というわけですね。それであれば、大学のレポートにChatGPT を使うのもおかしい話ではなくなるかもしれない。

橋爪 もっと大きく社会を変える可能性があるのは、自動翻訳ですね。これはもう、すぐそこまで来ている。英語帝国主義が、その瞬間に終わります。

川原 なるほど。自国語でしゃべっても、それをAIが翻訳してくれる。英語が母語でなくても、不利にならないわけですね。

橋爪 そう。すると社会がどうなるかというと、まず、外国で働きやすくなる。

 これまでは英語が話せないと、働きにくかった。銀行で口座を開いたり、アパートを借りたり、買い物をしたりするのにも英語が必要。単純労働じゃないホワイトカラーの仕事は、文書も作成するし、言葉がよくできないと無理ですね。何年もかけて英語を勉強しないといけない。でも、自動翻訳が実用化すれば、問題なく働ける。企業の管理職や学校の教員だってできそうです。

 そうするとどうなるかと言うと、先進国と第三世界の垣根が低くなります。

川原 それはいいことじゃないですか?

橋爪 いいことだけど、大混乱です。誰もが国境を越えようと思う。先進国は賃金が高いから、移動したくなる。移民が入ってくれば、先進国の賃金が下がる。だから、反対が起こる。第三世界の賃金は上がって、世界は平準化に向かっていく。大混乱になるのか、それとも平和になるのか、シナリオはふたつあるのです。

 どちらにせよ、カギは言語なんです。言語学は学問を組み立てるのが大事なのかもしれないけれど、言語と技術が結び付いて社会を改革するとどうなるかを考えるという、大きな役割もあると思います。

川原 おっしゃる通りですね。

 言語学がいま向き合っている大事な問題は、AIを使って言語の本質をどこまで捉えることができるか、です。いろんな意見が出ています。言語の本質は、ビッグデータだけからではとらえられないと主張する言語学者が多いいっぽう、いずれAIが言語のすべてを解き明かすだろうと期待する人もいる。どちらにせよ、今まで言語学が積み上げてきた知識が、この分野の発展に貢献できるのは間違いない。あべこべに、言語学がAI技術から学ぶことも多いはずです。自動翻訳がどのように社会を変えていくのか、考えていくのはとても大事です。

 橋爪先生の本を読むと、いつもご自分の専門を現実の問題に結び付けて議論していますよね。ヴィトゲンシュタインの哲学を語るときも、現実社会の問題と結びつけている。言語学者には、橋爪先生のように、言語は人間にとって何なのか、言語によって社会がどう動くのか、という広い視点で研究を進めている人は、残念ながら少数だと思います。私も少し反省しないと。

橋爪 言語学の起こりは、植民地主義ですからね。世界の動きと連動していた。社会を考えるのに、言語の問題は避けて通れないと思います。

言語の始まり

橋爪 生徒さんから、言葉はどうやってできたの、という質問があったでしょう? 素晴らしい質問です。どう答えたのですか?

川原 まず正直に、いろいろ研究してもわからないことが多い、と話しました。

 「物の名前はどうやって決まったの?」という質問があったんです。それには、「いろんな人がいろんなことを考えているよ」と前置きして、その例として、聖書の創世記の話をしました。アダムが順番に物の名前をつけていくところです。そして、「聖書が正しいかどうかわからないけれど、世界中の人びとに影響しているから、聖書もちゃんと読もうね」と続けました。

 それから、プラトンも関係してきます。クラテュロスは、物の名前は本来そのものを表す適切な名前なんだ、と考えた。それに対してヘルモゲネスは、物の名前は人びとがこう呼びましょうと約束したのだ、と考えた。ソクラテスは両方の議論を踏まえ、どちらかというとクラテュロスに近い立場をとりました。

 あともうひとつ、面白い実験があります。英語話者が声色だけを変えて同じ言葉を話し、30個の意味を表現できるか実験したのです。声色がうまいひとだと、意図した通りの意味をけっこう伝えることができた。同じ英語の声色を、ほかの25の言語の話者に聞いてもらっても、やっぱり意味が伝わった。声色から意味が理解できて、どの言語かにはよらない。そこで、声色から言葉が始まったのではないか、という説もあることを紹介しました。

橋爪 興味深いですね。でも、その先はないのかな。

川原 そこなんです。この仮説が正しいとしても、言語で表現できる意味は、30個どころではありません。言葉の意味は、声色で表現できる意味から膨大に広がっていったんです。この時に何が起こったかは分かりません。

橋爪 吉本隆明の『言語にとって美とはなにか』(勁草書房→角川ソフィア文庫)という本に、「海を見てウと言った、と書いてあったと思う。ウミという言葉もないときに、海かどうかわからないものを見て、ウと言った。これが言葉の始まりだ、というのです(第一章 言語の本質)。

川原 それはさっきの声色実験や、クラテュロスの考え方に近いような気がします。海を目にして、人間がそれを「ウ」と表現する何かしらの理由があった。偶然ではない。

橋爪 海を見てウと言って、また海を見てウと言う。隣の誰かも海を見てウと言ったら、何が起こる? 山を見てヤと言ったり、森を見てモと言ったり、川を見てカと言ったりするんじゃないか。

川原 なるほど。物に名前を付けて呼べるという気づきが生まれた。

橋爪 でもこれだと、言い分けられ、聞き分けられる音の数だけしか、言葉はできません。そのうちいっぱいいっぱいになる。すると、どうなるか。水を見てミと言ったのだから、海はウではなく、ウミにしよう。みたいに、音の組み合わせにすると、言えることがうんと増えると思います。

川原 まさにそのとおりです。音を単独で使っていても、人間が出せる音の数は有限なので、表したい意味の数には到底足りません。でも、有限の音を組み合わせるなら、その組み合わせの数はいくらでも増やせますからね。例えば、30しか音がなくても、それらの音を2つ組み合わせれば、30の2乗。3つになれば、30の3乗。  

 あともうひとつ、面白い研究があります。赤ん坊が最初に身につける基本的な単語を見てみると、音と意味のつながりがはっきりしている。でもそれだけだと、十分な数の単語を持つことができない。もっとあとで身につける単語だと、音と意味のつながりが弱い。つまり、音と意味が恣意的に結びつくからこそ、人間の言語は多くの意味を表すことができる。音と意味がつながっているほうが覚えやすいけど、それだけではだめなんですね。

川原繁人(かわはら しげと)

1980年生まれ。慶應義塾大学言語文化研究所教授。 カリフォルニア大学言語学科名誉卒業生。 2007年、マサチューセッツ大学にて博士号(言語学)を取得。 ジョージア大学助教授、ラトガース大学助教授を経て帰国。 専門は音声学・音韻論・一般言語学。 『フリースタイル言語学』(大和書房)、『音声学者、娘とことばの不思議に飛び込む』(朝日出版社)等、著書多数。

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