約500年前のイギリスで、ひっそりと書かれた一冊の物語。
それは、のちに「世界で最初の英語小説」と呼ばれることになる――。
翻訳文学の醍醐味は、異なる時代と文化のあいだに橋をかけ、
ページをめくるだけで新しい世界を体験できること。
『猫にご用心 知られざる猫文学の世界』は、その楽しさと奥深さを
存分に味わわせてくれる一冊です。
中世英語の怪奇譚を現代日本語へと丁寧に蘇らせた本書は、文学や歴史に興味を持つ人はもちろん、翻訳という営みに関心のある人、そして猫を愛するすべての人の知的好奇心を刺激するはず。世にも珍しい猫文学アンソロジーの誕生です!
翻訳文学の魅力は、単なる「他言語の文学を読むこと」ではありません。その奥には、文化的な背景を読み解き、時代の空気を感じ取りながら、訳者とともに作品の本質に迫るという、知的な読書体験が広がっています。とりわけ古典作品の翻訳は、時代も言語も異なる“遠い国の声”を味わことができる点が大きな魅力です。
そんな翻訳文学の中でも、『猫にご用心 知られざる猫文学の世界』は特に注目してほしい一冊です。本書の中心に据えられているのは、中世イギリスで書かれた『 Beware the Cat』(ウィリアム・ボールドウィン作)。この作品は、「世界で初めて英語で書かれた小説」とも言われており、英文学の系譜においてきわめて重要な位置を占めています。
書かれたのは1553年。ちょうど宗教改革の嵐が吹き荒れていた時代であり、当時の空気を色濃く反映した風刺性や宗教的モチーフが作品には散りばめられています。出版はボールドウィンの死後、1570年。当時の政治状況から見ても、本書を出版するというのはなかなかリスクのあることだったとうかがえます。
現存する英文学の中で、物語としての構造をもちつつ、現実と幻想、滑稽と批判を縦横に編み込んだこの作品は、今日では「英語で書かれたノヴェル(novel)」の萌芽とされ、文学史的にも大きな意味を持ちます。
この歴史的な作品を、現代の日本語で丁寧に紹介してくれたのが、翻訳家・大久保ゆうさんです。
大久保ゆうさんは16歳のときから青空文庫に翻訳作品を発表し、大学院在学中からフリーランスの翻訳家として活躍されてきました。文芸・大衆文化・美術関連の翻訳や批評も手がけており、2025年現在は一橋大学で講師もつとめられています。
原文は現代英語とはかけ離れた表現や文法を含む難解なものだと想像しますが、大久保さんの訳文は、原作の持つリズムや皮肉、風刺性を損なうことなく、現代日本語のなかで巧みに再構成されています。また、本文中の注釈や巻末解説は、海外文学に関心のある読者にとってもとても読み応えがある内容になっているはずです。ぜひ翻訳の背景にある考察を楽しんでください。
翻訳するだけでなく、脚注で文化的な意味を補うことにより、原作の空気を損なうことなく“読ませる”力がこの書籍にはあります。翻訳文学の面白さはここにあると、再認識させてくれる一冊になっていると思います!
『猫にご用心』は、その奇抜な設定や語り口から「風変わりな猫の物語」として語られたこともあるかもしれません。たしかに物語の導入は、動物の言葉がわかる薬を作った人物が、猫たちの会話に耳を傾ける・・・という、どこかユーモラスな筋書きです。しかし、物語が進むにつれて浮かび上がってくるのは、当時の宗教観や階級社会に対する鋭い皮肉や風刺です。
猫の目を借りて語られる「人間の愚かさ」は、当時のロンドンに生きる人々の姿をコミカルに、かつ批評的に映し出します。この多層的な構造こそが、現代の読者にとっても「ただの昔話」にとどまらない読み応えがあるはずです。
また、本書に収録された関連作品や詩は、グリマルキンという架空の猫キャラクターを軸に、18~20世紀にかけて派生的に生まれた作品群です。一つの物語が、時代を超えてどう受け継がれ、変奏されていったか――それを一冊で体験できるのも、海外文学や歴史ファンにはたまらない楽しみではないでしょうか。
『猫にご用心』の作者ウィリアム・ボールドウィンは1526年頃に生まれ、1563年のペスト大流行の際に亡くなっています。ロンドンで印刷工をつとめながら原稿の執筆や翻訳を行っており、編集者としても活躍していました。エリザベス女王戴冠後は出版の仕事をやめて、聖職者として説教活動に励んだということで、短い生涯ながらもなかなか興味深い人生を送った方のようです。
猫の視点を借りて当時の人間や社会が描かれている『猫にご用心』。AIが登場した現代では、「人間」以外の視点から描かれる物語の可能性が広がっていきそうです。小説の可能性を考えるうえでも、本作の存在が語り継がれていくことを願っています!
翻訳文学はときに、ハードルが高いと感じられるかもしれません。特に古典作品であればあるほど、背景知識や語彙の難しさでなかなか読み進められない、なんてことも多いはず。
確かに「猫にご用心」もアクの強い作品です。魔術や宗教の記述が入り乱れ、複雑怪奇な語り口は現代小説では味わえない読書体験ともいえるでしょう。一方で、まるでコントのようなドタバタ劇があったりと、全体として非常にユーモラスな作品にもなっています。また、「猫には九つの命がある」という伝承の出典ともされており、史料的な側面から見ても大変興味深い作品です。
『猫にご用心 知られざる猫文学の世界』は、大久保ゆう氏による注釈と解説が非常に手厚く、また多彩な作品で構成されているため、さまざまな角度から楽しむことができると思います。
そして何より、本書は“文学史上の発掘”とも言える一冊です。英文学の黎明期に書かれた作品が、500年の時を超えて日本語で読めるなんて、ちょっと楽しいですね! 大久保さんの解説では、作品の裏に隠されたさまざまな話が豊富に盛り込まれており、こちらも必読です。
知的好奇心を満たしつつ、読み物としても十分に楽しめる翻訳古典をお探しの方には、これ以上ない一冊。ぜひ手に取って、その深遠な世界に触れてみてください!
書名: 猫にご用心 知られざる猫文学の世界
著者: ウィリアム・ボールドウィン他
訳者: 大久保ゆう
出版社: 日本印刷株式会社 出版・メディア事業部(soyogo books)
ページ数: 232ページ
仕様: 四六判 上製本
価格: 2,200円(税抜)
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